くるみ

闇金ウシジマくん Part2のくるみのネタバレレビュー・内容・結末

闇金ウシジマくん Part2(2014年製作の映画)
-

このレビューはネタバレを含みます

2014/05/17
原作は何冊か読んだ程度で、映画部分のエピソードも未見。地雷と気付きながら地雷を踏みに行って、やっぱり地雷だったよ、と帰ってきた感想になります。

制作のいきさつを推察するに、各方面からの思惑が絡んで、これだけたくさんのキャラと展開を盛り込む必要に迫られたんでしょう。だから、脚本上の制約が大きかったのは仕方ない。「このキャラ、話に必要か?」や「あの長いシーン、伏線じゃなかったんだ!」は言いませんよ。
そして、煩雑なストーリーを整理して効率よくまとめるのが難しいからエピソードを増やして説明していたのも、まだいいです。一番問題なのは、本筋を省略してるのに不要なシーンをつけたしていたことです。

ホストの麗の母親が練炭自殺するくだり、遺体を発見した麗の表情だけを映すところや、その後、客にそのネタを面白おかしく話すことで説明していたのは、すごく良かったと思うのです。なのに、なぜエピローグで母親の死をもう一度映像でやるんでしょうか。
私は「え、そんなに傷ついてたの?」て思いました。母親の死とエピローグまで一時間以上空いているので、麗の感情と感情に繋がりがないんですね。
表面に出してはいないけれど母親の死が大きな傷になっている、という感情が表現したいのなら、例えばキムラ緑子演じる太客とのベッドシーンで母親のことを持ち出すとか、部屋に転がり込んできた彩香から母親と喧嘩したという打ち明け話を聞いて同情するとか、色々とやりようはあっただろうに。
セリフで説明しないこと映さないことで表現する、という方法を使わないのは映像作品としてどうかと思いますし、最後は改心したということを表現するのに、母親を持ち出すのは安易なうえに蛇足です。
麗関係のストーリーラインは「お、これは!」と思っても、その後必ず良いシーンを台無しにしてくるので、見ていてすごくもどかしかった。

そして、本作のメインである底辺描写は、ソフトというよりキレイ過ぎた。映画会社からの規制云々ではなく、製作者たちの取材不足とこだわりのなさの賜物だと思います。どぎついエピソードは続くけれど、あれはマンガでやってるエピソードをそのまま映画で再現してるだけなんじゃないでしょうか。それじゃ、底辺描写には程遠い。リンチシーンでもっと顔を汚す、愛沢のリーゼントをボロボロにしていくなど、映画用の演出を盛り込まないといけない。観客への口当たりをよくするためにコミカルにしたというのなら、前述したような方法で暗さをまかなうべきです。
というのも、原作マンガって底辺に転落していく過程がリアルだから「自分たちも一歩間違えたら、こうなる」という恐怖を生み出していると思うのですよ。なのに底辺描写を軽くするのは、原作のエッセンスを理解していないという証明です。取材不足やこだわりのなさに透けて見えるのは、製作者側の「所詮、自分たちには関係のない世界だ」という侮りじゃないのか。
上から目線の印象が続くなか、5円の教訓が鬱陶しかったです。
くるみ

くるみ