カラン

イーダのカランのレビュー・感想・評価

イーダ(2013年製作の映画)
5.0
涙は透明だから、、、

1962年、旧ソ連の衛星国であったポーランドはスターリンが死んだ後に、社会主義体制のまましばらく小さな平和を享受することになった。雪深い土地にある修道院で、童貞と禁欲と殉教の誓いをたてる間際に、アナは修道院長から、誓いの前に唯一の近親者である叔母のワンダに会いに行くように言われる。ワンダは当局から「同志」と呼ばれる検察官で、人々を死刑台送りにしてきた、深酒のヘビースモーカーで快楽主義者のコミュニストであった。そのワンダから、カトリックの修道女のアナは、イーダという名であり、ユダヤ人孤児であったことが明かされ、自分の素性を探す旅にワンダと共に出かける。




今、観終わってこう書きながら、外のベンチで酒とタバコをやっていたら、夕陽を浴びた猫と目があった。猫は何事もなく横切っていったが、イーダはほとんど話さない。小動物のように微笑んで、何かを見つめて、動く。イーダにも、私たちにもよく分からないが、たしかにそっちに向かうわけだし、そうなっても不思議と意外な気がしない方向に、黙って、動く。微笑みのなかに閉じたイーダを、モノクロームのカメラは信じがたいボリュームのヘッドルーム(被写体の頭上の余白)で切り取る。これを閉塞と感じないで。それじゃあ、映画に出逢えないから。



ポーランドとユダヤの関係は複雑である。例えば第二次世界大戦の直前には、ポーランドはナチス・ドイツとソ連によって両側から引っ張られて、押し合いの舞台になったわけだが、ご存知のように両陣営共にユダヤ人を大量虐殺することに吝かではない。ポーランドにはユダヤ人を助けるチャンスがあるにはあるが、クシシュトフ・キェシロフスキの引用をするまでもなく、歴史的にいつも割りを食うのはポーランドであり、自分を虐める者ばかりに挟まれて、ポーランドが上に立てるのは、自国のユダヤ人だけとくるわけだ。そういうポーランドからの移民がパヴェウ・パヴリコフスキ監督で、彼が14歳の折に母と共にイギリスへ渡ったようだ。監督の祖母がアウシュヴィッツから戻らなかったのは監督が生まれる前の話し。

純粋なものの映画を撮ることにもしなったら、自分だったらこの映画をなんども見返すだろうな。



イーダ役はアガタ・チェブホウスカさん(Agata Trzebuchowska)で、1992年生まれ。ワルシャワの喫茶店で読書しているところを、監督の友人のポーランド人プロデューサーにスカウトされた文系の大学生であったとのこと。透明感を限りなく高めるべくキャスティングしたのだろう。この映画の時点では役者を続けるかは「分からない」と答えたようだが、後にどうも作る側に回ったようだ。

ワンダ役はアガタ・クレシャさん(Agata Kulesza)。2人とも殉教女の聖人の名に由来するのは、何の偶然なのだろう。この人はパヴリコフスキの『COLD WAR あの歌、2つの心』(2018)にも出演した美人。今回の『イーダ』では、ユダヤ人のコミュニストで、元解放戦線の闘士で、大事なものを失くしてしまったが、大事なものを奪ってきたという立場。窓に消える前の風呂場の湯気のなかのクロースアップで、狂気で刻まれた皺の顔面があまりに印象深い。がぶってダバコを吸う。



冒頭とエンディングは、タルコフスキー作曲のBWV639。(^^) この永遠の一曲を『惑星ソラリス』以後に使うってさ、『ベニスに死す』以後にマラ5のアダージェットを映画に使うようなものだけどね。(たしかにファスビンダーはうまくクリアーしてたけどさ!) パヴリコフスキ監督は自信あったんだろうね。しかしまあ、驚いた。そしてモーツァルトが凄い。モーツァルト最後の交響曲を爆音にして窓から中年の女が消える。ジュピターね。ここは40番ではないんだというのは40は手垢がつきすぎたか。最近聴いてなかったから、最初39であるかと勘違いしたのか、それとも、個人的に39が最も死の臭いを感じるからか。モーツァルトは38以後は爆音でいきましょうと。この映画ではワルターとウィーンフィルらしい。皆さんには、PHILIPSから出てるムーティ&ウィーンフィル盤をお勧めしときましょう。ほとんど立ってられない小澤征爾と水戸室内管弦楽団(Sony)のも凄い録音だけどさ。こっちは爆音向きではない。(^^)



北米版のBlu-rayは英語とフラ語の選択で、5.1chマルチチャンネルサラウンド。なかなか良い。たいしてセリフはないので、ぜひチャレンジしてください。
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