デニロ

ラブホテルのデニロのレビュー・感想・評価

ラブホテル(1985年製作の映画)
3.0
石井隆ですもの、本作も名美と村木のいつもながらのすれ違いの話。

事業がドン詰まった村木は闇金から借金したものの借りた金が返せない。ある日、取り立て屋が事務所で妻を凌辱している場面に出くわす。村木さぁ~ん、借りた金は返しましょうや。借りた金も返せず会社は倒産し、自暴自棄になった村木は女を道連れに死のうとホテトル嬢を呼ぶ。妻がされていたように凌辱し殺して自分も死ぬ。騙して手錠をかけ服を切り裂く。抵抗する女。もつれあうふたり。凌辱される妻を思う。ダメだ。出来ない。村木は女を放置し逃げ去る。

そして例の如くに2年後。闇金から妻が追及されぬように離婚し、自身もタクシー運転手となり身を隠す。時折、妻が弁当や季節の衣類をもって村木の部屋を訪れる。朝、公園のブランコに乗って、村木の仕事が明けるのを待つ。かつての夫婦のそっけない日常から、今や、何故いまだにふたりは繋がっているのかという共犯幻想への大展開。いや、ひとりっきりでは耐えられないのだ。妻は裸になって煎餅布団に潜り込み村木を誘う。

ある夜、仕事中に運転席から2年前のホテトル嬢を見かけ後を付ける。2年前のホテルでの出来事から自分は救われた、君の美しさは天使に思えた。君に償いたい。女はもちろん学生だったあの夜のことを忘れるはずもないが、そんな過去の事よりも妻子ある上司と修羅の道に入り込んでいる今が大事。愛されたくて愛したんじゃない、歌の文句じゃないけれど、上司に都合よく弄ばれ妻の知るところとなると棄てられる。それでもこころは上司から離れることが出来ない。繋がらぬ受話器に向かって恋人がいるのと慕情は尽きることがなく、まるで『昼下がりの情事』のオードリー・ヘップバーンじゃないか。

女は村木に抱かれながら、名美、と呼んでと咽び泣く。肉欲の塊になっているふたりだが、もはやこころはすれ違う。石井隆の男と女のこころと時間は決して交わらないという世界を相米慎二監督の作家性が全面展開する一篇。

新文芸坐 二十三回忌哀惜・相米慎二 にて
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