福島第1原発から5キロに住んでいた大熊町の田邉さん一家は、避難先の東京で第2子 を出産。ふるさとに願いを込め「福ちゃん」と名づけた。郡山市で 14 代続く有機農業家の中村 さん一家は、放射能による影響に苦悩しながら、それでも田植えをし稲を刈る。 東京に住む河原愛美さんは、福島原発事故後、核燃施設のある故郷の青森県六ケ所村を いっそう憂い、故郷の地で涙ぐむ。六ヶ所村泊で漁業を営む滝口さん一家は、太平洋沖のマ ダラから基準値以上のセシウムが検出されたために獲った魚を海に捨てる。滝口さんはかつ て、猛烈な核燃反対運動の中心人物だった。 一方、原発事故後も原子力施設があることの不安より、日本の原子力政策の変更により 仕事を失ってしまうことの不安を語る六ヶ所村の丹波さん夫婦。同様に、村の財政が破綻す ることの危惧を訴える六ヶ所村の議員。 原子力施設を抱える地域で暮らす人々の生活と苦悩を通して、放射能という「負の遺産」を これ以上増やし続けることの責任を問いかける。