ヤソヒラ

アマデウスのヤソヒラのネタバレレビュー・内容・結末

アマデウス(1984年製作の映画)
5.0

このレビューはネタバレを含みます

【鑑賞中の雑な実況を転載】

「アマデウス」
ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトとアントニオ・サリエリの対決を描いた話。
語り部であるサリエリの過去回想という構成なんだけど、これはやばいね。
現在のサリエリがモーツァルトの狂気的な天才性を目の当たりにした時のことを思い出して、
「私は神の栄光を歌い上げたかった。神は切望だけを与えて、声は奪い取った。なぜだ、教えてくれ。私の賛歌など望まぬならなぜ切望を与えた? 熱い欲求だけを与え、才能は下さらない!」

音楽を愛した男と音楽に愛された男の出会いのなんたるロマンか。

サリエリたまらんな
自分の新作オペラが大衆や陛下には大絶賛されているのに、見るのはモーツァルトの方っていう。
「どうだ見たか」というふうな目でモーツァルトのいた場所を見るとそこにはモーツァルトはいない。
そこで一気に顔が暗くなる。
妬み憎んでいるが、おそらくそれ以上に神に愛されたモーツァルトに認められたい。
そこはかとなく「男の子」ですなぁ。
それにモーツァルトの新曲の楽譜を見たり聴いたりして、一番その才能を理解しているのはやはりサリエリだ。
あまりの衝撃に楽譜を取り落としたり泣きそうになるサリエリ。
持たざる者の苦悩は見ていて辛くなる。

【見終わってからの雑な感想】

「アマデウス」やっとちゃんと見終わった。
壮絶。
オールタイムベストに入る。
長くの間お互いを受け入れられなかった二人は最後の瞬間、この世の誰よりも理解り合い、誰よりも互いを求めた。
非凡と凡庸。
相反するからこそ憎み、そして求める。
そんな映画。

サリエリは自分に情熱だけを与えて才能を与えなかった神を自ら殺し、モーツァルトをある種の神に仕立てる。
そして神を貶めようとするサリエリだったが、神と定めたモーツァルトはただ孤独な一人の音楽家だった。
孤独な天才だった。

映画の最終シークエンス。
サリエリがモーツァルトの天才性、そしてその音楽の真の美しさや力強さ、斬新さを文字通り体感するシーン。
サリエリは戸惑い、焦り、感動し、喜んだ。
モーツァルトが目の前で曲を作るその姿に彼は神を受け入れた。
そして音楽家としてずっと孤独だったモーツァルトは自分の音楽を正面から賞賛したサリエリを受け入れる。
彼の「そこにいてくれるかい?」という言葉が彼の全てを物語る。
アントニオ・サリエリとヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトは最期の瞬間、友となった。

3
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