まぬままおま

スイートプールサイドのまぬままおまのネタバレレビュー・内容・結末

スイートプールサイド(2014年製作の映画)
3.8

このレビューはネタバレを含みます

松居大悟監督作品。

思春期の少年/少女の「毛」の悩みとそこから展開する恋愛物語。
馬鹿で偏愛だ。と言ってしまえばそれっきりだが、哲学的洞察を試みる。

本作において剃毛行為は、太田が後藤の毛の悩みを解消し、親密になるきっかけであることと太田が精神的に童貞を喪失する通過儀礼の役割を果たしている。さらに別の側面からみれば、剃刀で毛を剃るため、他者=後藤を傷つける可能性にも開かれたものである。

太田は剃る前にクリームを後藤に塗る。その様子を本作では、舐め回すようにカメラに収めることでとても艶めかしく、またそれが愛撫であることを暴く。暴かれた彼の愛撫は彼女に許され、前戯が終わると剃毛という本番行為に挑むのである。肌と肌を合わせ、最も他者に接近する行為。それゆえ彼らは親密になっていくのである。
しかし剃刀が手元を滑れば、後藤を容易に傷つけてしまう。後藤が自らを傷つけたように。愛撫は暴力と紙一重なのである。
このようにセックスで起こりうることを太田は剃毛行為で経験し、彼は精神的に童貞を喪失するのである。

剃毛行為も偏愛であるが、太田が後藤の毛を大事に保管することも偏愛である。
彼が彼女の毛を自らの腕に塗り込む行為は、「男らしさ」の願望の実現と彼女との同一化ともみてとれる。そして後者の欲望が臨界点に達した時、彼は毛を食べてしまうのである。同一化のなれのはて。彼が毛を食べる瞬間の表情はとても素晴らしく、思わず笑ってしまった。

太田と後藤の親密な関係には、当然敵が現れる。太田の幼馴染や水泳部のコーチ、後藤の父である。水泳部のコーチは太田が立ち向かうべき象徴的な「大人」であるし、後藤の父は、エディプス・コンプレックスで言われるように後藤が愛情を独占しようとする対象である。太田は彼らに立ち向かい、倒すことで後藤との恋を成就させないといけないのである。

ただ本作は、綺麗に物語が進むわけではない。太田はコーチに後藤を奪われるし、父には追い返される。さらに後藤を傷つけたというトラウマから世界を終わらせようとする中二病的な精神に退行する。
だから彼らの恋愛は成就せずに終わる。太田は退行した精神のまま、自らの欲求をぶつけるだけなのだから当然である。

剃毛行為までいったのに、最後は手を握ることも許されなくなってしまった太田。
彼の初体験は淡く、ほろ苦い。

蛇足1
剃毛行為の最中、太田の心象風景がシーンとして描かれるが、『くれなずめ』のフェニックスのシーンを想起させる。なくてもよいかと。

蛇足2
太田の声が一瞬野太くなる。あれは意図的なのか、そうであるならとても素晴らしい。