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女の犯罪史の教授のレビュー・感想・評価

女の犯罪史(2012年製作の映画)
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城定秀夫監督の初期(?)作品を観ていると特に(当たり前だと言えば当たり前だが)「低予算」の作品だからといって映画が面白くならないとは限らない、ということの気付かされる。
たぶん、その低予算(に伴う短い撮影期間)の状況を忖度して観ているというのはあれど、やはりひとつの作品として、その丁寧なつくりに感心してしまう。

時代設定が昭和50年代の初頭。一応実話ベースの事件を扱った映画だということだが、作品に対する情報が乏しく、史料が見当たらずよくわからなかった。
しかしながら、作品内の世界観として、この時代の風景をきちんと演出していることにまず驚く。もちろん「完全に」とは言えないが、この制作規模でこの世界観をこだわって、工夫を凝らして映像化していることに城定監督が誠実で非凡な監督であることが伝わる。

それは、全てのシーンの画面のデザインとして、配色にもいちいち気の利いたこだわりが窺える。
とにかく印象的な画作りの見事さ、美しさが冴えている。
特に、冒頭10分程度でも、その画面の配色に注視するだけで、本作は「映画」として撮られていることがわかる。

作劇について、拙さや、説明的な部分は多いし、俳優によっては時代感が現代的過ぎる人物もいないわけではないが、純度の高い「ロマンポルノ」的な風情として、愛嬌の部分で特にノイズになる部分ではない。
むしろ、かつての「ピンク映画」のポリシーとして、濡れ場を一定時間用意しておけば、監督の作家性や、テーマ性を好きなだけ撮って良い、というクリエイティブな場、という意識を明確に反映させていて、その意識の高さに惚れ惚れしてしまう。

また、城定監督の偉大さというのは、これらの作品の大前提となる「濡れ場」に関しても、どうやって撮影、演出を施せば「いやらしく」見えるかの工夫が画面作りや表情、仕草の演出にも見えるところにある。
冒頭、主人公の君子(波多野結衣)が見合いの直後に義男(森羅万象)に無理矢理セックスに持ち込まれる漁船でのシーン。君子の衣装と漁船のエメラルド・グリーンとの対比や、カメラを接写しての煽りのアングルから、行為の背景に青空を映し込む映画的シーンなど、細かな演出が冴えている。

また「テーマ性」においても、男性側の性的欲求の代替的な産物である「ポルノ」という作品を通じて、2012年当時でも、女性の「性」によって自分を獲得するという現代ようやくきちんと描かれるようになった問題を取り上げてもいる。
少なくとも、本作で描かれているのは、女性に対して「性的消費」が前提となっているだけの、本質的には個人の世界が狭く閉じられた男性性しか描かれておらず、端的に「愚かな存在」としての印象を受ける。
対して、女性の側は「セックス」という行為と「性」という不可思議な人間の属性を通して「目覚めていく」という風に描写される。
男性にとってのセックスは、刹那的な欲望の消費であったり、恋愛感情もその時の感情の高まりでしかないのに比べ、女性は、そこから自分の人生を正誤に関わらず選び取っていくのである。
そのことを表現するために、官能的な「濡れ場」が用意されている周到さが、一般的な「ポルノ作品」とは決定的に違う点である。
そういう意味で、様々な制約や作劇的不手際は感じても、とても多層な面白い映画だ。
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