なのち

ミッシング・ポイントのなのちのネタバレレビュー・内容・結末

ミッシング・ポイント(2012年製作の映画)
3.3

このレビューはネタバレを含みます

講義途中まで
アメリカを「平等に戦える国」として愛したチャンゲスが彼自身を重要参考人としてテロリストの共同体?として扱われると表現があった。9.11以降アラブ系というだけで信用されなくなりチャンゲスは自分の立場すら選べなくなった。パスポートを提示後同行を強いられ、服を脱げということは本来人間にはすべきではないのに無罪の彼を裸にさせるのはあまりに共同体、組織意識が強く、彼に取っては侮辱行為だと考えた。
I want you but I cannot のシーンではなぜbut I cannot だったのか?彼がテロリストと同じ共同体に属する人間だったと思われたからか?(9.11以前の話だろうから、なぜ?俺だと思えと言ったのはなぜ?)
チャンゲスが9.11に対して、そのニュースを見た時悲しみや怒りを感じなかった、天才だけが無慈悲を乗り越えられると言った、また、「大胆だなぁ」と思ったと語る。自宅の侵入、教授室の侵入、教員としてでさえも疑われた。その時にチャンゲスが感じた一瞬の喜びとは?→アメリカで就職する前は人種により平等に戦ってこれなかったのではないか?
リンカーンがチャンゲスが去った後にアラブ系の人々に囲われていたのは、犯罪者と同じ共同体としてみられた上、彼がスパイだった(疑われていた)ことに対する怒りだったのだろうか
チャンゲスとリンカーンの交錯する出生地と仕事先、互いが互いを疑い忌み嫌うような立場だからこそ構造として取り入れられたのか?
アメリカ国内の愛国心はこれまでと異なった形を見せ、アメリカ側からしたら防御、報復と言える攻撃を行ったが、被害を受けるのは大抵無罪のアラブ系の人々であった→怒りを向ける方向が冷静ではない、共同体として見る意識が強すぎて、アメリカ国内にいて、被害を受けたアラブ系の人々のことを考えられていない。
チャンゲスの身にもアメリカからの報復が降りかかる。タイヤをパンクさせられ、暴言を吐かれる。彼はアメリカで仕事をしており、テロにより亡くなった人々を弔っているにもかかわらずそのような扱いを受けることは耐えられないことだと感じた。
エリカがテロにより失った人のことを思い続けたい気持ちとチャンゲスとの関係との葛藤の中で苦しんでいる姿が、その時代の人々には降りかかり、テロにより亡くなった人の存在の代わりを探してたしまうような自分に嫌悪感を抱いたのだと考えた。
「パキスタン人なら〇〇(肯定的意見)」とは何を意味してるのか気になった。
無罪の罪なのに酷い扱いでFBIに捕まった様子がとても心が痛んだ。この後拷問のようにパキスタン人であることだけを理由に責められるのではないかと考えた。
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