尿道流れ者

殺人ワークショップの尿道流れ者のレビュー・感想・評価

殺人ワークショップ(2012年製作の映画)
3.2
物の見方によっては全ての事柄はあらゆる解釈が可能で、この映画では暴力という恐怖に横たわる笑いの要素に関してはとても繊細で丁寧に描かれる。暴力の緊張感の中で、正反対とも思える笑いがとても生き生きとしている。

人を殺したいと願う人々が合宿形式のワークショップに参加し、協力しながら願いを果たしていく。乾いた暴力とその都度挟まれる笑いはとても素晴らしくて、間違いない笑いを届けてくれる。フリと間の使い方が絶妙で、ブラックな笑いも正統派のノリで届けてくれるところに監督の能力の高さを感じた。しかし、監督の能力の高さがあだとなるのか、映画としての完成度を求め過ぎてる点がとても寂しくつまらなかった。設定と笑いの要素がぶっ飛んでいるだけに、映画としてのドラマ要素が凄く邪魔で足を引っ張っているのでとても小さくまとまっていて残念。80分程度の短い尺なので、そのまま笑いと暴力の二重奏で突っ切ることも出来たはず。ストレスが多い現代人にとっては、空虚なものであっても、自らの衝動を肩代わりしてくれる暴力の爽快感と勇気とリラックスをくれる笑いは素晴らしいし、ひと時の万能感と夢を与えてくれるもので、それだけで良いのにっ!映画としての完成も必要なかったのに、そこを求めたところがとても残念。


併映の超暴力人間はその点完璧だった。メッセージを読み取ることは可能だが、そんなことな野暮ったいほどのふざけた暴力と笑い。映画館でもこの作品には特に大きな笑いがあった。気持ちええなーっ、俺たち生きてるなーっ、お前にも生きる権利はあるねんでーっ、と叫びながら暴力を振るう宇野祥平は現代のマザーテレサなのです。