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きっと、星のせいじゃない。のmofaのネタバレレビュー・内容・結末

5.0

このレビューはネタバレを含みます

【握れる手があることの奇跡】

死を前にした、若者たちの必死さに、心を打たれる。

ガンと知り、それを受け入れ、辛い治療を何年も継続的に行い、
様々なものを諦め、これが人生だと、自分を慰める。
 自分を愛してくれる家族は、いる。
母は、娘の病気を、ともに戦う父がいる。
 けれど、ヘイゼルには、その存在がいない。

 娘の病気の話を聞きながら、握り合う父と母の手を、
ヘイゼルは、空虚な目で見つめる。

 自分には、助けを求めるように、握る手はない。

けれど、そんな彼女の前に、ガスが現れる。
 彼女と同じように、ガンを患いながらも、完治している。
 彼は、ヘイゼルをキレイだと正直に言う。
自分は、正直に生きようと決意した・・と彼は言う。
 
 ガスの前向きさ正直さに惹かれ、2人は急速に近付いていく。

2人の姿は、ピュアであり、一生懸命で、
爽やかで清々しい。
 ヘイゼルが握れる手が出来たのだと、嬉しくなる。


けれど、この映画は、恋愛だけではない。
恋愛を盛り上げるために、設定された「末期がん」ではない。
 その現実を、リアルに描く。

アムステルダムに「また来ればいいじゃない」という母親の言葉に
逆上する。
 諦めたくない意地で、上がり続ける階段。
忘却が怖いというガス。
我を失うガス「どうして、頑張れないんだ」とハンドルを打ち付ける。

 どんなに前向きで、自分の状況を受け入れようとも、
明るい部分の裏には、暗闇で戦う感情がある。
 互いに出逢ったことによって、その、温度差は更に大きくなっていくに違いない。
味わう愛しさ楽しさが倍増するほど、
死を、拒み、神を恨むのかも知れない。

 けれど、それでも、
短くとも、互いを愛したことは、素晴らしいことであったに違いない。
 
「俺、ラッキーだよ」とガスがいう。

愛は、素晴らしい。
辛い時に、助けを求めるように握れる手がある事の、素晴らしさ。
 
 日頃は気付かないかも知れないけれど、
何かあった時に、握れる手があることが、奇跡なのかも知れない。
 
そして、はじめて。
自分の娘たちにも、いつの日か、握れる手を見付けて欲しいなぁ・・・と漠然と思った。
 
「虹が見たければ、雨は我慢しろ」

そんな言葉が、しんみりと心に染みる。
ガスはヘイゼルよりも先に逝ってしまったけれど、
空には、大きな虹がかかっているように思えた。
 ヘイゼルからの愛の弔辞を胸に、
ヘイゼルもまた、ガスの愛の弔辞を胸に。

 この作品は、末期がんを扱うことの迷いが全く見当たらない。
 
その姿勢は、迷いのない若い2人の愛に通じている。

 だからこその、この清々しさ。満ち足りた、充足感。

これは夢物語ではない。
 
 すぐそこに、握れる手があるという奇跡。

その奇跡に、是非、気付くべきだと、この映画は訴えかけているように感じる。
何かの有事があってから気付くのではなく、
この日常の中で、気付けるチャンスをくれているのかも知れない。
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