レインウォッチャー

マップ・トゥ・ザ・スターズのレインウォッチャーのレビュー・感想・評価

3.0
夢と欲望の巣窟ハリウッドを舞台にした愛憎劇。
主演がM・ワシコウスカにJ・ムーア、J・キューザックにR・パティンソンも。と、クローネンバーグ映画の中でもSTARS揃いの作品で、会話の端々にセレブの名前が出てくるし、某銀河共和国の姫が本人役で出たりもしてる。

ただ、この豪華さ(初のアメリカロケでもあったらしい)が果たして奏功したのか?は疑問が残るところ。
人類史上で連綿と繰り返されてきた、愛・野心・血縁にまつわる古典的な悲劇といえる物語であり、クローネンバーグにしてはフツーだし、フツーにしてはややこしい…という、ニッチで不幸なエアポケットに落ちてしまったような作品にも思える。クローネンバーグというよりはデヴィッド・リンチ(の試作品)と言われたほうが信じてしまいそうなテイスト。

というか、劇中で登場人物たちが自ら「こんなのベタでしょ」みたいな言いっぷりでネタばらししてしまったりしているので、どうやらそのへんまるっと含めた皮肉だったともいえる。

そんな中でも「クローネンバーグらしい」と思えるのは、構造に彼なりのロジックが貫かれているところだ。
落ち目の女優ハバナ(J・ムーア)やセレブ子役のベンジー(E・バード)は、共に自らを責める少女/少年のヴィジョンに悩まされる。これを、なんとなく「幻覚を見たかも」とか「幽霊が出たかも」で済ますのではなく、ユング心理学における「子供」の元型になぞらえて説明しようとしていたりする。

このクローネンバーグが好む心理学的解釈のフィルタを透かすと、ハリウッドで量産され続けるベタな映画も、ここで生きる人々の人生も、同じ集合的無意識に根ざして互いに影響しあっている物語なのかも、というマクロの図が見えてくる。つまり今作は、物語論をブラックに説く映画と読むこともできるのではなかろうか。

火のシンクロニシティで結びついたハバナとアガサ(M・ワシコウスカ)はどちらも親の業から逃れられず、同じ運命を繰り返す。彼女らと周りの人々は、一度は街を離れたり克服を試みようとするも、まるで引き寄せられるように関わり合って、ギリシア神話の昔から代り映えなくベタな「役」に収まるかのようだ。
まさに、やはり古の神話によって空の定位置に縛られた星座(=STARSのMAP)と同じように。