IkuoKomiya

あの日の声を探してのIkuoKomiyaのレビュー・感想・評価

あの日の声を探して(2014年製作の映画)
2.2
 第二次大戦後3年の1948年に作られたアメリカ映画『山河遥かなり』のフランス版リメイク。オリジナルは「地上より永遠に」「真昼の決闘」「ジュリア」のフレッド・ジンネマン監督の作で彼の出世作にあたる。ナチスのホロコーストを生き延びたもののアウシュビッツでの体験によって言葉を発する事が出来なくなり、更に救出した連合国の記録ミスから死者にカウントされてしまった一人の少年が荒廃したドイツの国土を亡者としてさまよう姿を描く。道端でパンを食べるアメリカ兵を飢えた目で見つめていたことをきっかけに野良犬の様に拾われ、そしてGI達との共同生活の中で英語の手ほどきを受けることで少年は言葉と自分の名前を取り戻していく。その過程は『野性の少年』や『ET』の源泉を観る思いがするほど感動的だ。ジンネマン監督もホロコーストの戦禍で両親を喪っている。映画の中で少年の自己回復を描くことで自らの魂をも再生させようとしたのではないか。そんな想いがこの映画にはこもっている。そんな「戦禍にも破壊されることのない子供の生きる力」を描くことを念頭に置いているからか、少年の収容所での体験描写は抽象的で短い。ここでは迫害者であるナチスも顔の見えない存在だ。しかし、だからこそ「山河遥かなり」は第二次大戦に時代を限定されない普遍性をも獲得し、21世紀の現在になって再びリメイクされることになったわけだ。

 そのストーリーの普遍性を理解するからこそ「あの日の声を探して」の作り手はホロコースト物語の再話ではなくチェチェン紛争に舞台を移してみせた。それなのに映画は主人公の少年ハジではなく彼の両親を虐殺するロシア兵の姿から始まってしまう。道端で拾ったホームビデオによって撮影されたという設定の生々しいVOPモキュメンタリーとして。結果この映画は『山河遥かなり』から離れ、旧ソ連の例えば『炎628』の様なセミドキュメンタリーいわゆる「芸術記録映画」に近づいてしまった。そこで立ち上がって来るのは強いプロパガンダ性だ。『炎628』は確信犯的なナチス親衛隊よりも対独協力者であるウクライナ兵をより卑劣で残虐な存在として描いていた。まるで現在のクリミア侵攻のアリバイであるかのように。同様に『山河遥かなり』に於けるナチスの役割をロシアに担わせる『あの日の声を探して』の政治性もまたハッキリしていると言わざるを得ない。難民としてチェチェンを出た少年は、とあるEU人権委員会の職員が朝食に買ったパンを飢えた目で見つめ野良犬の様に拾われる。職員は彼の境遇を含めたチェチェン難民の窮状を国連赤十字の場で訴えるが、常任理事国ロシアの強権に支配されている国際社会の関心を呼ぶ事が出来ない。そして世界から孤立した状態の中で職員とチェチェン人少年の間に心の絆が生まれて行く。誰もが知らず知らずのうちにロシアのテロとの戦いに疑問符をつけたくなってしまうという訳だ。しかしそれは同調すべき正統な物の見方だろうか。ロシア軍の侵略を、EU職員の苦闘を克明に描くうち少年は物語の中心ではなくなり、その心の回復のドラマもドキュメンタリータッチの中で違和感を残すほどメロドラマチックなものになっていく。この混沌とした状況こそが20世紀とは違う21世紀なのだという言い方は出来るかもしれない。しかし、この混沌に触れることで一体誰の魂が救われるというのだろうか。
IkuoKomiya

IkuoKomiya