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私の少女のuyuyuのレビュー・感想・評価

私の少女(2014年製作の映画)
4.5
傑作だった
主演2人の演技力。いっときも目が離せなかった。
演技力だけでなく、テーマやディテールもすばらしかった。
私の好きな韓国映画ベスト1になるかもしれない。
こちらでは評価がそれほど高くないのが不思議。

私がこの作品で思い起こしたのは、ダルデンヌ兄弟の作品に共通するものがあるな、ってことと、これは魔女狩りの話でもあるんだな、ということだった。

終盤、ドヒ(セロンちゃん)が「小さな怪物」といわれ、ヨンナム(ペドゥナ)がハッとなってドヒのところへ戻る。こういう偏見にあの子はこれからさらされていくだろう。被害者なのに、なぜか「不気味な子」といわれる。感性の鋭い女を「魔女」と言って火あぶりにするように。
ヨンナムは、それで、いてもたってもいられなかったんだと思う。そばにいたいと思ったんだと思う。
その気持ちを、同性愛だとか母性だとか、はたまた「これって共依存じゃない?まあそういうイビツな愛もあるのかもしれないけどねー」とかで簡単に片付けられない、と私は思う。

虐待や暴力に長い間さらされてきた子が、生き延びるために犯罪をおかすことがあったり、ときに狂気じみたりすることは、まったくもって自然なことだ。その様子を、「わがまま」と言ったり、「怪物」と言ったり。そうさせたのは誰だ、っていう話だ。

そんな理不尽な偏見に、この子はずっとさらされていくのかとヨンナムは気づいた。自分も理不尽な偏見にさらされてきたから。

法制度なんかじゃカバーできないことがある。虐待や性暴力の問題は、法律や制度が現実に追いついていない。なんでこれが不起訴なの?とかなんでこれが無罪なの?とかがてんこもりだ。虐待する親から子どもを絶対引き離したほうがいいのに、第三者が介入できないことがよくある。そういう現実を、警察官であるヨンナムはもちろんわかってるはずだ。ドヒを保護することがどういうことかを。だけど、傷ついたドヒを、体中についた痛々しいアザを見つけて、ただ、抱きしめたい、そばに寄り添いたい、そう思うことはごく自然な感情だ。

その感情を「同性愛」だとか「母性」だとか、周囲はやたら名前をつけたがる。そんなのどうでもよくない? そんなスパッと名前つけられるような安っぽいもんじゃないし、その見方じたいが偏見であり無理解だ。差別につながってる。

しいていうなら、ふたりの関係はやっぱりシスターフッドなのだ。シスターフッドが理解できない人から、ふたりはずっと奇異の目で見られていくだろう。魔女扱いされるだろう。ラストシーンから、そういう不穏さは感じたが、救いは、ふたりはもっと別の次元にいるであろうということだ。

そして、見ている私は、私の傷は、癒された。包み込まれるような感覚があった。それでいい。そういう映画なのだと思った。

まぎれもない傑作です。
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