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ナショナル・シアター・ライヴ 2015「フランケンシュタイン」のなのネタバレレビュー・内容・結末

3.7

このレビューはネタバレを含みます

劇が始まる前のショートムービーで化け物のことを"his(Frankenstein's) creation"と呼んでいたところからようやく、フランケンシュタインとは化け物の名前ではなく、科学者の名前であるとわかるぐらいまっさらな状態で鑑賞。
今と比べると随分と若々しい2013年時点のベネディクト・カンバーバッチが地面を這いずり回り、土(ではないと思うけれども)を口に含み、そしてカタコトに話す。私はベネディクト・カンバーバッチの熱心なファンではないけれども、彼の全身を使った演技につい魅せられてしまった。
天井の照明の演出は少々オーバーな気がしたけれども、美しく、見ていて楽しいものではあった。
生まれてくる生命は何も選べない。生まれることも生まれないことも。にもかかわらず、醜いというだけで、逃げ出したフランケンシュタインはなんと非情なのだろうと思う。その身勝手さが、"化け物"の視点から描かれることでより際立って感じられたし、彼の寂しさや苦しさがより伝わってきた。誰も彼をあんな風に扱う権利はなかったし、彼もあんな風に嫌悪される必要もなかった。
人々が勝手に作りし、一方的に決めつけた価値観に人生を翻弄された"化け物"のことを"化け物"と呼びたくない。そう思いながらも"創造物"にもしっくりせず、悩みつつ北極に消える二人の姿を見守った。
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