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メビウスのmndisのネタバレレビュー・内容・結末

メビウス(2013年製作の映画)
5.0

このレビューはネタバレを含みます

「ペニス」と「ピストル」の大事な約束
http://mndis85.blogspot.com/2014/12/blog-post.html

恥ずかしながら前作、「嘆きのピエタ」が初めて観たキム・ギドク作品だった私は、その映像のチープさと、相反する深いテーマが反応し合った奇妙なバランスに強烈なインパクトを感じていた。

そして今作、「メビウス」も強烈でありながら、またしても奇妙なバランスの映画だ。他の過去作を観ていないので、キム・ギドクの事は詳しくは分からないが、彼が映画をほとんど観ないで育ちカラックスの「ポンヌフの恋人」を30歳の時に観て衝撃を受け映画の世界に入り込んだという事は知っている。

発売中のキネマ旬報でAV監督のカンパニーと松尾氏が言っていた言葉通り、彼は「思想で映画を撮る」監督なのだろう、その為、映像美という点より物や行為が持つ意味でストーリーを展開する事を好むのだろう。
そういう点ではブニュエルに近いのかなと私は思う。
ブニュエルは「凝った構図は糞食らえ」とい言っていたと四方田犬彦のブニュエルの本で読んだことがある。
キム・ギドク本人は狙っていないというが、抑えた笑いもブニュエルと凄く似ている。


このレビューを書いている現時点では、今年のベストムービーだと思っている。

ここからはレビューというより、素人の個人的な思い込み的な分析だと思って下さい。(『ROOM237』の様なw)


1.「メビウスの輪」について


「メビウスの輪」とは画像を見ると分かりますが、輪が途中で反転して繋がっている輪の事ですよね。

この2面性や無限でありつつ閉塞感のあるデザインが映画の登場人物やテーマ、映画としてのジャンルにまで関連している様に思う。

①「夫婦の輪」切断と接合
冒頭の朝食のシーンで、息子と父親はお互いに関心も持たずトースト1枚をかじっている。(息子のボタンのかけ違いを気付きも指摘しない父親。これも「家族内の役割の変化」という意味で後ほど書きます)
母親は朝から、狼の置物の隣で飢えた狼の様に赤ワインを飲んでいます。

この時点で「夫婦の輪」は崩壊しかかっていると言っていいですが、形式的はまだ「輪」は切断されていません。

しかし、母親が父親の浮気を確信し、ナイフで父親のペニスを切断しようと断念、そして、息子のペニスを切断したのをきっかけに「夫婦の輪」は切断され、母親は家を出て行きます。

中盤、切断された「夫婦の輪」は、本来あるべき形ではない歪んだ形で結合されてしまいます。

父親から息子に移植されたペニスが、突然、家に帰ってきた母親に対して勃起してしまいます。

移植の事実を知った母親も息子に対してというより、父親のペニスに対して欲情をみせ、息子と母親が性的な結び付きを見せます。

これで歪んだ「夫婦の輪」=「メビウスの輪」が出来てしまったのです。

元々、母親は夫というより夫のペニスに必要な執着を見せていたわけで、そのペニスが息子に移植されてしまった事、そして、この映画自体が、ペニスを体のただの部位という扱いではなく、1つの生き物や、人間を支配するモノというユニークな表現をする事で成立する「メビウスの輪」なのです。

更に恐ろしいのが、この、歪んだ「夫婦の輪」は息子と母親が繋がる事で、歪んだ「家族の輪」になり、性的な行為が家族内で完結するという「メビウスの輪」同様に閉鎖的な無限地獄に入り込んでしまうのです。


ここで1つの疑問が。

何故、父親から息子に移植されたペニスは母親にしか勃起しなくなったのか?冒頭のシーンでは、浮気相手とのSEXシーンがあったのに。。

先程も書いた通り、この映画はペニスを独立した1つの生き物として描いている。
そして、この歪みを生み出した最初の原因は、父親の浮気だ。

前半には、父親がそれを反省する様にペニスにピストルを当てるシーンがある。
ペニスはピストルよる脅しによって反省し、元の相手(妻のヴァギナ)への忠誠をピストルに誓ったのだろう。

そうやって父親のペニス視点で映画を見ると、コントチックにはなるが、ラストの結末が可哀想でならない、彼(ペニス)は約束を通り、元の相手と結びついただけなのだ。ただ移植された相手が息子であったが為に、彼(ペニス)にとっては、理不尽な悲劇になってしまったのだ。

彼はあの世で思っているだろう「ピストルさん約束が違うじゃねーか」と。


②「1人2役」と「メビウスの輪」が持つ「2面性」


この映画は「家族」「性器」「役者」の「喪失」と「代理行為」も含んだ映画になっている。

劇中で「家族」も「性器」も破壊されるが、人間の生命力は凄まじく喪失したモノを補おうとする。
それがどういう形で描かれていたかを書きたいと思う。

ます「家族」。
冒頭の朝食のシーンで、制服のボタンを掛け間違えている息子に対しての両親の反応の違いがキーになってくる。

父親はボタンのかけ違いに気付くが注意せず流す。
母親は怖いぐらいの満面の笑みではあるが、ボタンを直してやる。

①でも書いたが、この時点では夫婦の輪はギリギリ形成されており、この家の父親はこういう立ち位置、母親はこういう立ち位置ですっというのが説明されている。

しかし、母親が家を出て、父親がペニスの移植の手術をしたあたりから、「妻を失った父親」「ペニスを失った父親」は次第に喪失した要素を補う様に息子に世話を焼き始め「母親」の様な振る舞いを見せていく。

反対に「旦那」と「息子」を失った「母親」はどうなっただろうか?
突然帰宅したと思えば、父親のベッドでイビキをかいて豪快に寝てしまう。
この振る舞いもそうだが、「父親のベッド」を奪う行為や、後に出てくるシーンでは、息子と肩身の狭くなった父親が一緒に息子のベッドで寝ている所に、割り込んできて、父親をベッドから落としてしまう。

「母親」が「父親」に、「父親」が「母親」に形を変えたのが分かるシーンだ。

「息子」も「母親」と性行為をする事で「息子」から「父親」へと役割を変える。

それによって①でも書いたが「歪んだ夫婦の輪」から「父親」は追い出された格好になる。

この様に喪失した「家族」を補おうとして父親も母親も息子も「1人2役」を担う、この「2面性」はメビウスの輪」ともかかってくる。

更にこの「1人2役」はストーリー展開だけではなく、怪演を見せたイ・ウヌの「母親」と「不倫相手の女」の「1人2役」で実際に行ってみせた。

もともと演じる予定であった女優が降板した為、急遽そうしたというが、「メビウス」持つ性質「2面性」や「喪失」と「代理行為」という映画のテーマをこれでより深く描けると途中で、キム・ギドクは気付いたのだろう。


③オーガズムの「喪失」と「発見」〜これは「シリアス」か「コメディ」か〜

そして、次に「喪失」と「代理行為」が描かれたのは「ペニス」を失った男達の「マスターベーション」の方法だ。

1つは石で肌を血が出るまで擦りあげ方法。
ある種、ペニスを切るよりエグいシーンで見てるこちらが痛くなる映像であった。

2つ目は、ナイフで刺して出来る傷口を刃で広げる方法。

ここでも、「快楽」「痛み」という対立する要素が表裏一体に描かれている。

私はこの映画を2度鑑賞したのだが、1度目は、このへんの描写は劇場で大爆笑が起こっていた、しかし、2度目の時は、誰も笑っていなかったと認識している。

この映画はジャンルとしても「シリアス」と「コメディ」の2面性を持っていると言っていいだろう。

私個人的に面白かったシーンは
・パンツを脱がせようとする同級生のくだり&天丼
お前ら何やってんだよと、中学生日記的な微笑ましさで笑ってしまった。

・暴行行為を止めるのが、遅すぎる警官
これは、爆笑でしたね。息子が父親をガンガン蹴り飛ばしてるのを、突っ立って見てるのが面白過ぎた。早く止めろよと。。

・出所した息子に石を渡すシーン。
これは、堪らない。その前の「やってるかアレ?」からの息子「何言ってんだよ」的な演技がおかしすぎるw照れてるけど、お前らやってる事、変態だよっていう。

・チンピラのチンコ切断〜トラックに轢かれるまで
ここは、どこの劇場も鉄板の爆笑シーンでしょうね。まず、女がチンコをぶん投げるのに意表を突かれ笑ってしまう。そして、走って逃げる息子も滑稽だ。(もしかしたら、あのまま病院に持って行って移植する気だったのだろうか)
キム・ギドクがこの映画を「ペニスのロードムービー」っと称している。
ロードムービーに事故死は付きモノっていう意味でペニスのロードムービーだとこうなるのかと。。

・父親の顔芸
原辰徳のグータッチ時の顔みたいな驚きの表情が個人的にツボでした。

・妻の総合格闘技能力の高さ
終盤、父親と母親が取っ組み合いをする所で、母親が足の裏で、父親の骨盤を抑え、マウントポジションに入らせない様にする技術を見せます。この女、只者じゃねー。多分、裸足で家を出て向かった先は、柔術系のジムに通っていたんじゃないじゃかと予想します。

④「閉鎖された空間」と「メビウスの輪」

「ペニス」を喪失しても尚、劇中の男達は自己流のオーガズムを発見し「性」に縛られている。

そして、1で書いた様に、この家族は母親、息子、父親の中で「性」の関係性が出来てしまい、外の世界との性的な関わりは遮断され閉鎖的な性関係ができる。

この様に「メビウスの輪」が持つ「閉鎖感」も、この映画に重要な部分である。
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