コウ

メビウスのコウのレビュー・感想・評価

メビウス(2013年製作の映画)
1.3
『最狂』のギドク絵巻。

夫の不倫に発狂した(妻)があろう事か(息子)の性器を切断し、そのまま行方をくらましてしまう。重い責任を感じた(父)は、ペニスが無い状態での自傷によるオーガニズムの体得の仕方を必死で調べあげ己で実践、そして(息子)にその方法を伝授する。(父)の愛人だった(女)と(息子)の奇妙な関係や、(父)から(息子)への
性器移植などを経たのち、突然(妻)が帰ってきて物語は狂気のクライマックスを迎える…。


家族、欲望、性器、それは全て表裏一体のメビウスの輪であるとの難解な哲学、そして痛々し過ぎるバイオレンスと過激な性描写で賛否両論となった超問題作です。

全編で「セリフ一切無し」の逆挑発的な謎の表現にもチャレンジし、まさにキム・ギドクのやりたい放題。
セリフが無いため上映尺が短いのがせめてもの救いですが、それでも鑑賞には忍耐と暴力描写への耐久性がかなり必要な映画です。およそ多くの方にとっては、映画的テーマへのシンパシーを全く感じ取れない中での苦行のような映画鑑賞となるでありましょう。

ここまで男の性器に執着した映画も珍しく、自傷行為や性欲への追求が過剰過ぎてもはや滑稽なブラック喜劇と捉える意見もありましたが、さてギドクの真意はどうなのでしょうか。

イ・ウヌが(妻)(女)の二役を演じ、鬼気迫る女優魂を披露してくれていますが、これにはゆゆしき裏事情があります。

キム・ギドクはこの作品の製作過程で元々の(妻)役であった無名女優にセックスシーンの強要や体罰を使った演出を行ったとされ途中降板に追い込み、そして2017年に訴えを起こされています。ギドクは「役作りのために必要だったことで暴力ではない」と主張したようですが、裁判所は暴力があったことを認めて罰金500万ウォンの略式命令を下しました。
当時新しい女優を見つける余裕の無かったギドクは、イ・ウヌに二役を演じさせる事で何とか映画を完成させたというわけです。

「#MeToo」運動の呼び掛けにより映画制作過程でのセクハラ行為が次々と浮き彫りになっている世界の映画界。韓国も同様に許し難いセクハラ問題が過去古くから醜くはびこっていたようです。ギドクは他にもオーディションでのセクハラ行為などで他女優2人からも訴えを起こされています。

芸術的といわれる映画を数多く世に送り出してきたキム・ギドクですが、自らの孤高の立場とアーティスト私欲を利用して自己以外の人間の尊厳を傷付けていたとあれば、これはやはりとんでもない事です。

『奇才』と『狂気』の紙一重の境界線をギドクがどこかで見誤ったとしたら、彼が作ってきた作品はどれもこれも思想家を装った変質的で独りよがりの芸術かぶれに過ぎず、その実体を知らずに賞賛してきた世界の映画祭や評論家、そして私たちは、彼の映画に対して全て誤った評価を与えてきた、という事なのかも知れません。

己の人生の断片を切り取り表現を行うキム・ギドクの作品に関しては『作品や芸術には罪あらず』という見立てなど到底通らないのですから…。
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