尿道流れ者

妻への家路の尿道流れ者のレビュー・感想・評価

妻への家路(2014年製作の映画)
3.8
泣き虫で宇宙大好きという小学生並みのメンタルを持ったスピルバーグとかいうおじさんが、また映画を観て号泣していたらしい。それがこの映画、妻への家路。文革で捕らえられ、20年ぶりに家へと帰ったパパが、記憶喪失を患ったママに顔や姿を忘れられていた。パパはママを愛しているし、ママもパパを愛している。しかし、隣にいる男がパパだと気づかないまま、ママはパパの帰りをずっと待ち続けている。いや、全く世知辛い世の中なもので。

苛政は虎よりも猛なりと孔子とかいう髭面がおっしゃっていたようだが、そんなことは露知れず、文革で引き裂かれた家族の悲劇が静謐な画面に滲み出る。だいたい教訓は役に立たず、後の人々の「今回は違う」だとか、「俺は大丈夫」みたいな、信憑性のない自信のもとのお引き取りねがわれてしまう程度の代物。「教訓はためにならない」という教訓が正しいみたいなパラドックスさえおきかねない。

苛政に苛政が続き、業のリサイクルショップ的な雰囲気すらある中国でも、一際有名な文革。それが終わってもまだ主人公家族においては悲劇は続いていた。戦争でも、災害でも、終わった瞬間に終わったと思える人は関係のない第三者だけで、当事者には終わることなく続いていく。そんな辛さが身に沁みる。家には帰った、しかしママの心には帰れない。帰れども帰れども帰ることはできない。

パパとママの奇妙な関係は少しコント的だが、当然のように切なく感動的。それよりも、印象に残るのは2人の娘。冒頭から華麗なバレエを披露し、家でも余念なくストレッチに精を出す。過去をたどる2人に対して、明らかに未来であり、2人のメタフィジカルな存在に対して、明らかにフィジカルな存在だった。この娘の張り裂けそうな生き方にももっと光を当てて欲しかった部分ではあるが、後半のダンスでは救われる。失われていった中国の文化芸術に対して、最後の抵抗とも言える肉体に継承された文化を娘が見せる。それは、たしかに共産党賛美のために練習された党のための踊りであったが、しかしそこにある何かは決して赤色に染まってなかった。そんな娘にフォーカスをあてなかったのは、それ自体が寓話的な意味合いを持つのか分からないが、ひさびさに色々と考えたくなった良い映画だった。