Yodocho

アイアムアヒーローのYodochoのネタバレレビュー・内容・結末

アイアムアヒーロー(2015年製作の映画)
1.5

このレビューはネタバレを含みます

(2024/05/26)
この映画のレビューを残したいがために、数年ぶりに自分で投稿します。一言でいうと、なかなかに酷い。特にクライマックスのシーンはひたすらシンプルにイライラしました。一人で風呂に浸かりながら観ていたので、思わずイライラが声に出たほどです。

まず、ゴジラ-1.0を鑑賞して少し邦画を見直していた自分ですが、結局あれは例外中の例外だっただけなんだと再認識しました。申し訳ないけど、『【原則として】邦画は◯ソ』という評価は取り下げるつもりがないです。世の中には一定数邦画ファンというのもいることでしょうが、そういう人たちを敵に回しても、そう言わざるを得ないのが本音だし、大体、経験値に基づいているものだからどうしようもないです。何の根拠もなく忌避しているわけでもないし。

それと、これは完全に自己責任ですが、ドラマにせよ映画にせよ、漫画の実写化は観ちゃダメ!というのがもはや原理原則レベルになりつつありますね。これも邦画界の、いわば“実績”。寄生獣やカイジはこれまた例外的に結構楽しめたけど。。まず、漫画作品を映画にすることに土台無理があるという根底に、尺の問題がありますよね。この作品にしたって原作は22巻もあるわけだし、どうしても一部分のエピソードを掘り下げるか、それでなければ要素だけを取り込んでギュッと圧縮するかの二択しかない。この映画化にあたっては後者を選択して映画オリジナル要素を一部加えているわけですが、結果、ただの中途半端なホラーアクションになっている。原作を読破したのも随分前のことになるから記憶も曖昧だけど、もっとドラマが深かったはずだし、追跡シーンの描写などにもハラハラしたはず。ゴミ収集車の場面とかは、胸に迫るものがあったし。

クライマックスで主演の大泉洋がひたすら散弾銃をぶっ放して迫りくるゾキュンを一掃しますが、劇中結構スピードも出せているのに、なんで最後だけ時代劇の殺陣みたいにゆっくり一人ずつ順番に迫ってくるの?数名の輩みたいな連中はあの大勢のゾキュンに一度は囲まれながら、どうやって何人も生きていて大泉洋と合流できたの?そもそも日頃使っている形跡のない散弾銃って、手入れとかなくてもちゃんと撃てるの?どうしてそんなに弾丸の予備が潤沢なの?ただの看護師が、斧を使ってそこまで無双できる根拠ってなんなの?等々。ひたすら疑問しか湧いてこないです。

一番違和感を感じたのは、大泉洋にとってのゾキュン遭遇は恋人の突然変異、その後飛び出した街中でも呑気に歩いている人がまだ多数いる状況。なのに、車で郊外へ出ると、少なくとも数ヶ月以上は輩どもが籠城している場面にいきなり遭遇するのも不自然でしかない。2つの世界線を行き来してるのか?なわけないわな。まあ、全体が破綻しているので楽しめようもないです。映画って、度を超えてツッコミ始めたらもう終わりの始まりですよ、、

救いは、アマプラの観放題だったことかな。勿論映画館でこれやっててもわざわざ観に行こうなんて考えもしないけど。つまらない映画作品って、①シンプルにつまらなくて何も残らない②あまりにつまらないため一周回って人に勧めたくなる③つまらなさのレベルが②を超えて人には絶対に勧められないという三段階に分かれると思うんだけど、今回の作品は①ですかね。
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