垂直落下式サミング

アイアムアヒーローの垂直落下式サミングのレビュー・感想・評価

アイアムアヒーロー(2015年製作の映画)
4.1
ゾンビものって、最初はめっちゃ面白い。この映画も、彼女と同棲してる部屋のくだりとか、仕事場で襲われるところとか、ついに町で大量に出てくるところとか、日常が破壊されていくダイナミックさのある前半は、めちゃめちゃワクワクする。
大泉洋が銃を持っているのに撃てないのは、男性性を否定され軟弱な腑抜けに成り下がってしまった日本男児を象徴しているなぁ、と思いながら観た。
そんで、ゾンビウイルスに順応し極限状態において野性味を解放していく有村架純のほうには、美少女ヒロインには強くあってほしい(そんで余計なこと言わないでいてほしい)という願望がマシマシ。有村架純をおんぶしながらゾンビから逃げる長澤まさみの体力にもホレました。
この二人の美しい女と、この殺伐を生き残りたい!まさに、日本のマンガってか、花沢健吾の作品のセカイだなぁって。
この手のはゾンビ発生からどうなってくかが、物語がどうなるかの分かれ目なのだけれど、そこから先をやろうとすると、生き長らえるほどに間延びしていくから、ゾンビという題材は連載漫画やテレビドラマのような連作形式とはそこまで相性よくない。
映画版のバイオハザードとか、ドラマのウォーキングデッドとか、それこそ、これの原作だったりとかも、後半どうしてもキツイところが何ヵ所かある。
映画も、こんだけ邦画の枠内で頑張ってる感じなのに後半の緊迫が足りずにちゃんとつまんなくなってくのは、作り手側の良心みたいなのがブレーキを踏んじゃうからだと思う。
終末ものは、普通の日常なんて取り返しようがないんだから、マジで気の狂った性格悪い地獄めぐりみたいなのが連続しないとダレる。
映画はせいぜい二時間で終わるから、ゾンビとは相性いいほうだとは思うのだけど、アウトレットに立てこもるらへんでロメロのイズムを発揮しだして、生き延びたニンゲンのイヤ~なところが再び描かれるもんだから、そーゆーのもういいよってなっちゃった。
僕らの気持ちは、前半の塚地が代弁してくれている。今の社会がクソだから、金持ちとか貧乏人とか関係なく動く死体になっちゃうアポカリプス到来に、わっしょいなわけじゃない。みんな死んで俺しか生き残ってない!みたいな状況がいいんじゃん。
ゾンビは死人だから、襲いかかってくるのが近親者だったりするので、そういう葛藤も描けはするのだけれど、これにドラマを乗っけるにも限界を感じる。
ゾンビというモンスターを一番うまく扱えるのは、シューティングゲームなんじゃないかな。人の形をしているけどぶっ殺していいものとして襲いかかってくるから、プレイヤーに倫理的な免罪符を与えてくれる。実際、この映画のいちばんの大見せ場は、大泉洋が銃を撃ちまくるところなのだし。
力作ではあると思う。映像が生々しくていい。邦画ホラーは、映像をあとから加工して灰色にしたり青っぽくしたりってのが多いが、これは素材をこねくりまわしてないのが、現実と地続きっぽさが出て、いい効果をあげていた。世界がこんなことになっても、闇は暗くて、空は青い。
アニメを放送してるうちはダイジョウブ!ってところで笑いました。テレ東だいすき。相対性理論もテレ東は信頼できるって言ってましたから。ここでやってるのが『未確認で進行形』ってのも個人的に高まる。僕の青春時代ですね。