春とヒコーキ土岡哲朗

百円の恋の春とヒコーキ土岡哲朗のレビュー・感想・評価

百円の恋(2014年製作の映画)
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クズでも、クズだから、やるしかない。

クズの根性。32歳だがニートで交際経験なしという、ダメな要素しかないヒロイン。彼女がボクサーと恋をし、ボクシングに打ち込む物語。しかし、それで今更、爽やかな世界に行けるなんて救われる話ではない。ピンからキリまで、様々なクズに囲まれ、彼女自身も自分のクズ性と付き合っていく。

「何、ぶりっ子してんだ?殺すぞ」や、コンビニをクビになったおばちゃんの強盗など、笑いもある。そんな俯瞰したら滑稽に見える彼ら。惨めだけど愛らしい、面白いけど惨め。
ボクサーとの恋で彼女の生活に色がつき、彼に抱かれているときの彼女からは「女の幸せ」を感じた。しかし、彼が部屋に帰らなくなり、他の女を作り、彼女は簡単に救われなどしない。彼女はその悔しさをボクシングにぶつける。
彼女は、ボクシングに魅せられてはいるが、この映画はそのことに焦点を当てるわけではない。単純なストレス解消でもなく、「何かで、やってやるしかない」という、もっと深い、自分の証明のための戦い。

ボクシングに思いを託すヒロイン。恋に破れてボクシングに本気になりだした彼女の姿を、それらしい『ロッキー』風のBGMで見せるところは、素直に熱くさせてくれた。手に入れたボクシングの力で、バイト先のコンビニの社員を殴って、打ちのめす。プロ試験合格後なので本当はいけないことなのだが、法律を度外視して、痛快だった。

いざ迎えた試合。試合は相手が優勢の、見るからに振り回された試合。だが、彼女の試合までの経緯を見てきた分、非力さよりも、戦い続ける闘志が見える。彼の試合のときには、実際のボクシングの試合でも時々目にするが、なぜ、悪あがきのように相手の体に抱き付くのか、疑問だった。しかし、彼女の試合のときには、その理由が分かった。立っているのがやっとで、まともに拳の駆け引きができなくても、まだ勝ちたい、戦いたいという気持ちが残っていて、その気持ちだけが動いていると、どうにもできず、対戦相手の体に抱きついてしまうのだ。とにかく、明確な説明が加わるわけでもないが、彼女のこれまでを見てきたら、ああするしかない、と思わされた。

負け人生の輝きを示せるか。ヒロインは、1ラウンドも取れずに試合に負けた。ずっとフリとしてあった左ストレートを喰らわせても、相手をダウンさせられなかった。彼女の最高の技をもってしても負ける、完全な敗北だ。試合を見に来た、他の女を作った元カレに、「一回くらい、勝ってみたかった」と泣く彼女。この「勝ち」は、ボクシングに限った話でなく、人生のあらゆる局面で、という意味。つまり、彼女は、人生の全ての局面で、まだ一度も勝てていないのだ。それでボクシングに懸けたのに、自身の最高の技でも相手からダウンを取れない。気合を入れて練習し、その成果を見せたところで、勝てない。そんな完敗だけど、たしかに彼女は健気に頑張ってきた。彼女はいつでも健気だった。同じ負け人間である元カレが、最後はまた一緒に歩いてくれる。二人一緒にいたって、勝つことなんてできないだろうけど、それでも二人一緒であることが、せめてもの救い。互いの存在を認識しあう相手が、まだいるから。世間に全敗しても、確かに戦ったことを、讃えよう。