キーラ・ナイトレイが美しい。ご自身の美しさに無頓着なのが、或いは無頓着な演技が徹底しているのが、なお良い。
いくら生まれついての美しさに慣れきっているとは言え、周囲のちやほやや生きてきた実績の中で無自覚でいられるはずなんてないのに、大丈夫?丸山礼に物真似されちゃうよ?とこちらの方がハラハラする程、顔芸にも近い振り切った百面相ができちゃうのは、美しさの軸と演技力に余程自信があるんだろうな。
音楽に詳しくない癖に、音楽をテーマにした映画が大好きなんだけど、この映画を見ててその理由がよく分かった。
曲のジャンルやら時代性、または演奏の巧拙を含む曲の善し悪しの評価軸をきちっと持っている人は、ただ曲が流れただけで、その意味するところや物語を汲み取ることができるんだろう。
それができないと、どうなの?これ、OKなやつ?全然なの?ホンモノなのに評価されないやつ?ん?どうなのさ?と頭の中を?だらけにしながら、劇場なら極めて平静を装いつつ周囲の雰囲気を窺ったりするものだけど、映画ってそこを丁寧且つエンターテイメント的に可視化、言語化して、素人にも分かり易く提示してくれるから、いかにも分かってる風に楽しんでいるうちに、ちゃんと作品世界に招き入れてくれる。
本作はその辺りが取り分け丁寧で、今まで見てきた映画にもありがとうって思えたし、今後も映画を信頼して良いんだなと安心できた。
だから、ただただ音楽っていいな、楽しいなぁと思いながら見られた。
そして、物語の最初と最後で主人公グレタの身上チェックリストみたいなものがあるとすれば、客観的に見たそれ自体は実はほとんど変わっていないにも関わらず、ラストのグレタの颯爽とした表情の晴れやかな美しさと言ったら!
ここで出して来たんだ、キーラ・ナイトレイの惜しみない美しさ!天晴れ。