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バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)のRのネタバレレビュー・内容・結末

3.9

このレビューはネタバレを含みます

自宅で。

2015年のアメリカの作品。

監督は「アモーレス・ロペス」のアレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ。

あらすじ

かつて大人気ヒーロー映画「バードマン」の主演俳優として華々しいキャリアを飾ったリーガン(マイケル・キートン「ザ ・フラッシュ」)。だが、その後は鳴かず飛ばずでキャリアも低迷、世間からは「落ち目俳優」の烙印を押されてしまっていた。そんなリーガンは自分の存在意義を見出そうと、ブロードウェイ進出を図り、レイモンド・カーヴァーの短編「愛について語るときに我々の語ること」を脚色し本公演に向けて奮闘するのだが…。

ギレルモ・デル・トロ、アルフォンソ・キュアロンに並ぶ「メキシコの三羽烏」こと、アレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥの作品。

イニャリトゥ作品だと「BABEL」と「21g(途中で断念)」とあんまり観たことないんだけど、今作は確か公開時劇場で観て衝撃を受けた記憶がある。

お話はあらすじの通り、ジャンルとしてはコメディに部類する作品なんだけど、まずキャスト陣の人選が面白い。

主役のリーガン役は現在話題沸騰中の「ザ ・フラッシュ」で約30年ぶりにバットマンとして復活を遂げたマイケル・キートン!!

ただ、今作の公開時は「かつてヒーロー映画で名を馳せた」というキートンにとってはメタ的なキャラクターを演じていて面白い。

ちなみにタイトルにある「バードマン」とは主人公リーガンがかつて演じていたヒーロー映画の主人公であり、劇中でも「もう一人のリーガン」として、ハリウッドに戻れと甘言を囁くファウスト的な分身として登場するんだけど、見た目はほぼほぼバットマン笑。

で、監督はインタビューなどで否定しているらしいが、やはりどうしてもマイケル・キートン本人と重なる。キートン自身も「バットマン」以降ますまずのヒット作はあったもののどこまでいっても「バットマン俳優」としてのレッテルを貼られ、長らく苦労した身。ということで劇中でも大ヒットしたヒーロー映画の主役俳優としてそれなりに知名度はあるものの、ブロードウェイに進出という一念発起をするものの、その中では大したキャリアも演技力もないのに…と馬鹿にされ、しまいには道化扱いされているという残酷な現実に本人もわかっていながら苦悩しているという、まさに今のヒーロー映画が跋扈する映画業界の「光と闇」を体現したようなキャラクターにもなっている。

また、キートン以外にも、リーガンと同じ舞台に出演する女優のレズリー(ナオミ・ワッツ「グッドナイト、マミー」)の恋人にして、ブロードウェイではその才能を認められたいけすかねぇ俳優マイク役にMCUの記念すべき一作目「インクレディブル・ハルク」のブルース・バナー役で主演するもその一作だけで「ヒーロー映画はもうやらない」と降板したエドワード・ノートン、リーガンの一人娘で今はリーガンの付き人もしている元薬物依存のサマンサ(サム)役に「スパイダーマン」のリブート「アメイジング・スパイダーマン」シリーズのグウェン役(その後、配給のSONYがスパイダーマンの権利を分与したため、シリーズは続編ありありで終わりながら空中分解)のエマ・ストーン(「クルエラ」)とヒーロー映画とはある意味「因縁深い」キャスト陣が揃っている。

で、その中で注目すべきは、なんと言っても全編に渡る長回し!!同じ三羽烏のキュアロンも長回しを多用する監督さんだけど、それに負けじとイニャリトゥも今作のほとんどを長回しで撮っている!!

他の作品で長回しというともちろん日常描写で使われることもあるけど、SFとか、特にアクションなどで多用される印象だったのに対して、今作ではブロードウェイの劇場内という現実ではあるけど、普段は垣間見ることができない「非日常」の喧騒の中で、主役のリーガンにスポットがあたり、前後左右に(まるで彼に同行するスタッフよろしく)カメラがカットを切ることなく映し取ったかと思ったら、そこからスイッチしてマイクやサムなど他の人物にもシームレスに映り変わっていく「自然さ」と「小気味の良さ」が心地よい。

厳密には一本の長回しではないんだけど、カメラの名匠エマニュエル・ルベツキによる非常に高度なテクニックの撮影によって、ものの見事に「長回し」が「演劇の内幕もの」という今作の内容にマッチしている。だから「長回し」といえばの作品だと個人的に未だに今作のイメージが強いんだよなぁ、それだけ印象的。

特に、中盤でのプレビュー初日。タバコを吸おうと裏口に出たリーガンがハプニングで劇場から締め出されてしまって、パンイチでニューヨークの街中を右往左往するシーン!絵的には非常に馬鹿らしいコメディ的なシーンでありながら、舞台のクライマックスに間に合わないかも!というスリリングなシーンでもあり、内幕からは出られない、衣装も小道具もない中、本番真っ只中さぁどうする!?という状況下の中でリーガンが苦肉の策で起こした行動には爆笑してしまった!!

そして、そんな長回しを盛り立てる音楽も良い。余計な音楽は使わず、ほぼほぼメキシコ出身のドラマーであるアントニオ・サンチェスによるダイナミックでテクニカルなドラム一本という非常にシンプルな音使いながら、リーガンをはじめとしてはキャラクターたちの心情にリンクするような「胸騒ぎ」がするBGMになっており、サントラほっしー!!

で、お話としては記念すべき本公演に向けて奮闘するリーガンなんだけど、そこに至るまでがとにかくトラブル続き!!練習では共演者が天井の舞台装置が落ちてきて負傷してしまうし(しかも、そのことで降板したことによって訴えられもしてしまう!)、その代役で有名舞台俳優マイクを招集できるも、エゴ全開でトラブルメーカーな性格もあって、プレビュー公演もめちゃくちゃにされてしまう!!おまけに上述のパンイチ騒動も重なり、「悪い意味で」話題を呼んでしまい、どうなる本番!!という感じなんだけど、結局その本質は「自分らしさを貫くにはどうあるべきか」。

リーガンとしては、確かにキャリアの返り咲きという思惑は少なからずあったかもしれないけど、その実、俳優を目指したきっかけである憧れのレイモンド・カーヴァーの作品を自分で舞台化する!という夢の実現のために私財やサムに残した家を売り払い、全てを懸けてまじめに取り組んでるだけなのに、急に本場の演劇俳優に「お前の演技はなってない!」とめちゃくちゃにされ、「パンイチ動画」が拡散されて、挙句、批評家のタビサ(リンゼイ・ダンカン「ブラックバード 家族が家族であるうちに」)からは「俳優として認めない」と観てもいないのに酷評を書いて舞台を打ち切りにすると宣言されてしまう。

その中で、徐々にリーガンは精神を苛まれ、もう一人の自分「バードマン」の心の声に導かれ、そして迎える本公演、そのクライマックスで彼が魅せる一世一代の「演技」。

どこもかしこもアメコミ映画になりつつある映画業界、突飛なものが受ける時代の中で、まじめにやっても受け入れられず馬鹿を見る。そんな価値基準がおかしくなってきている世の中で、ならば自分らしさを受け入れてもらうためにはどうすればいいか。

自分も狂ってしまえばいい。

バードマンとしての自分を思い出し、「飛んだ」リーガンが迎える末路は正しい形じゃなかったのかもしれないけど、結果的には「無知がもたらす予期せぬ奇跡」として話題を呼び、キャリアも取り戻すことができた。

ただ、その代償にリーガンは「俳優」としての武器である顔に重傷を負い、包帯で覆われたその顔はまるでバードマンそのものになってしまった。

この結末だけ見れば悲劇にも見える反面、ある意味、喜劇にも見える。

ただ、その顔はどこか憑き物がとれたようでどこか清々しい。

そして、全ての柵から解放された彼が最後に起こす行動。

あえて彼がどうなってしまったのかを映さず、残されたサムの上空を見つめる、「あの笑顔」だけで希望を感じさせるラストのように受け取れる。

きっと現実を飛び越えて「バードマン」のように鳥になったのかなぁ…。

というわけでこの作品がきっかけで主演のマイケル・キートンはその年のゴールデングローブの主演男優賞も受賞し、作品もアカデミーで数々の賞を受賞。キートン自身のキャリアも返り咲いたわけだが、その後の現在2023年、まさかそんなメタ的なキャラクターを演じた彼が再びバットマンとしてカムバックするとは誰が想像しただろうか。

つくづく人生って壮大な喜劇。
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