Ryo

バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)のRyoのレビュー・感想・評価

4.2
「そして君は人生で求めてきたものを手に入れれたのかい?ー得られたー何が欲しかったの?ー誰かに愛されたと言われたかった。愛されたと感じたかったことだ」


ジャンルは8 1/2やオールザットジャズ、仮面ペルソナ。ここがわかれば監督、映画の意図がわかる。
死ぬことにより生まれ変わり進化する。

さらにファイトクラブ、マルホランドドライブなど似た系統の映画へのオマージュも見られる。


ー超能力・バードマンの正体ー
主人公の心の中。他人とは違うんだという気持ちを比喩的表現で表してるため実際に使ってるわけではない。(部屋をぐちゃぐちゃにしたとき人が入ってきてからは特殊能力使ってなかったし、空を飛んで劇場に戻ってくる時も実際はタクシーに乗ってた)
1度バードマンで光を知った主人公は再び人々に愛されるために、娘からも愛されるために奮闘する物語。現実でも1人になったときの理想や妄想が絶えないように主人公も”1人でいるとき”は大抵主人公の妄想や理想でこの世界はできてる。
バードマンは心の中のエゴ。ファイトクラブでいうタイラーダーデンで自信の源でお前はすごい男だと言い聞かせる傲慢の象徴なのだ。

ーテーマー
冒頭の引用(上記記載)がテーマです。主人公、監督の娘に対する願いが込められてます。
そして主人公、引用はイニャリトゥ自身であり過去の作品を見ても同じテーマが語られてます。

ー冒頭の引用の出し方ー
アルファベット順に文章が明らかになっていく方法はゴダールの気狂いピエロと同じです。商業的にも家庭的にも行き詰まったゴダールはこの気狂いピエロの中で最後死にます。しかしこの死によってゴダールは再生し映画作家として栄光を納めるようになります。
だから家庭的にも仕事でも失敗している主人公に重ね合わせてこの方法を用いてるんですね。

ーキャスティングー
キャスティングもとても捻っており主人公のマイケルキートンはバットマン、エマストーンはアメイジングスパイダーマンのヒロイン役、エドワードノートンは超人ハルク出演、テレビにアイアンマン役のロバートダウニーJr.のインタビュー映像などヒーローで固められてる。

そして現実と映画が融合された映画でもある。主人公マイケルキートンはかつて光を浴びるもそれからは人気が急激に落ちた役をやった。実はマイケルキートン自信バットマンを演じ光を浴びてからは再び成功する事なくこのバードマンまできた。そしてこのバードマンで再び成功を収めるという奇跡が起きたと言える。

また、ナオミ・ワッツが売れない女優役というのはも実際ナオミ・ワッツと役がシンクロしてる。この人はニコル・キッドマンと同期なのに、自分だけ売れず、「マルホランド・ドライブ」の売れない女優役でやっと売れたけど、その後も『キングコング』などで売れない女優役ばかり。しかも、この『バードマン』では意味なく突然のレズ・シーンで、『マルホランド・ドライブ』のパロディまでやっている。

さらにイニャリトゥ監督は今まで死や父親の葛藤の暗いテーマを描いて来た。この映画ではエマストーンを本当の娘に重ね合わせトイレットペーパーに描いた模様は実際娘がやってた宿題だったりと現実の話を持って来てる。劇中でエマが「こんな作品白人のインテリしか見にこないわよ!」と言ってましたがおそらくあれも本当に言われじゃあ楽しい作品作ってやるよと意気込んだ作品が今作なのではないかと思います。監督的にも他人の評価が欲しく次なる進化を示した映画でした。

この映画で妙にヒーローが出てくるのはヒーロー映画が大旋風を巻き起こし大衆がヒーローに憧れ、大好きすぎるのだ。憧れるのではなく誰かのヒーローになることが大事なんだと伝えている。

ーキートンとノートンー
リーガン(マイケルキートン)とマイク(エドワートノートン)を中心にストーリーが展開していきます。演技のスタイルも、考え方も正反対の2人。マイクが日焼けマシーンで読んでいたのはホルヘ・ルイス・ボルヘスの『迷宮』。ボルヘスの作風は、リーガンが舞台の題材として選んだレイモンド・カーヴァーの作風とは対照的です。マイクの演技スタイルは”超現実主義”。
劇中でマイクは「舞台でこそ本当の自分でいられる」って言っていましたよね。
「スマホの世界より現実を体験しろ」ってセリフは、リアリストのマイクだからこそ言えるセリフ。サムとの”真実ゲーム True or Dare”でも、常に”True 真実”しか選ばないマイク。だから、マイクは舞台では徹底してリアルを追求します。本物のジンを飲んでみたり、舞台でおっ立たり…

ータイトルの意味ー
バードマンには「無知がもたらす予期せぬ奇跡」という副題がついている。イニャリトゥは「無知だからこそ、無茶なことに挑戦できる」と言う。だから、カーヴァーの短編を絡めたスーパー・ヒーロー・コメディなんてバカげた企画がアカデミー賞を獲る奇跡だって起こるのだ。

そしてこれは存在価値に関する映画でした。他人の評価で自分の価値を見出す現代を表しています。ツイッターやフェイスブックなどで他人に評価してもらって初めて自分の価値がわかるのと同じように今作の主人公もそれを追い求め続けました。

バードマンは他人からの評価によって自分の価値を決めつけるような内容でした。しかしレヴェナントは真逆で自分自身で自分の価値を見出していく、そんな映画でした。

この作品では常に幻想の声が語りかけ自信を見つめ直すセラピーになっている。

ーあの隕石は何かー
劇中でバードマンは主人公に「派手に死んでみんなに後悔させてやろうぜ惜しい人を亡くしたと。炎に包まれイカルスのように。」イカルスとはギリシア神話に登場する人物の1人で、蝋で固めた翼によって自由自在に飛翔する能力を得るが、注意を忘れ楽しくなり太陽に接近し過ぎたことで翼が溶けてなくなり、墜落して死を迎えた。イーカロスの物語は人間の傲慢さやテクノロジーを批判している。あの隕石は傲慢により死んだイカルスを象徴している。

ー海辺に打ち上げられたクラゲは何かー
浜辺に打ち上げられた無数のクラゲの死骸のイメージがあることから、これは生死の境を彷徨っているリーガンの深層心理を表したものだろう。( 浜辺、海、無数のクラゲ。これらはリーガンが元妻に語った、自殺未遂のエピソードに登場したアイコンである )

ー鼻を撃ち抜いたことの象徴ー
全世界共通の鼻にかけるという言葉は自慢げや傲慢という意味。傲慢を象徴する鼻を彼は打ち抜きました。そしてその後包帯のマスクはバードマンのマスクとかなり似ています。これはバードマンとの一体化を意味しています。


ーーラストの解釈ーー
まず自殺はありえないです。娘が
キーとなるのは、サムが病室に持ってきた「ライラック」の花です。

かつてアメリカの国民的詩人ウォルト・ホイットマンは、リンカーン大統領の死を悼んで「先頃ライラックが前庭に咲いたとき」という、とても有名な詩を書いています。

その詩の中では、星とライラックとツグミ(という野鳥)が3つの象徴として描かれていて、

「西の空に沈んだ大きな星」がリンカーンを、

「ライラックの花」が死後の世界を、

「ツグミ」が残された者の哀しみを、それぞれ象徴していると言われています。

冒頭にも途中にも、隕石が落ちていくシーンがあったし、サムが持ってきたのはライラックの花だし、空を舞っていたのはツグミ(が表す鳥)だし、ラストシーンのベースにこのホイットマンの詩が存在するのは明らかです。


ーー解釈2ーー
脳天うつとき鼻を撃ったと言われておりますが実際は本当に脳に直撃しておりその後のシーンは理想主義者である主人公のこうなればよかったってゆう妄想だったかもしれないですしね。長い長いカットに実は意味があって、主人公の人生=1カットで長い人生を表したかったのかもしれない。そして病室でようやくカットが切れることで主人公の人物も切れた=死んだと考えられるかもしれないです。サムは実際に飛んでる父親を見て笑顔になればいいなという希望なのでしょう。

ーー解釈3ーー
彼はラスト自分の頭に向けて実銃をぶっ放す。実際は銃弾は鼻を吹き飛ばしただけだった。自分を撃つことでもう一人の自分で傲慢の象徴であるバードマンを殺すのは『ファイトクラブ』で主人公が自分を撃ってタイラー・ダーデンを殺すのに似ている。
主人公は一度死ぬことで蘇った。もう、バードマン無しでも飛べる。傲慢さを捨てもう一度ヒーローとして俳優として返り咲いた父親の姿を見るエマストーンの喜びの表情なのだ。実際に飛んでいる、それは科学的な証明はできないが「ビッグフィッシュ」のラストのように、また副題にもあるように奇跡が起こったのだ。成功や父親として娘から認められたのを飛ぶという表現で象徴している。最後に奇跡が起きたのです。

ここで冒頭の詩の引用「愛されたと感じたこと」というテーマが回収される。


イニャリトゥはインタビューで「50を過ぎてからどうやって生きていけばいいのか。それはユーモアを持ち自分を笑うことだ。」と言ってます。
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