人生に幕ひきなんて出来ません
フィルマークスにはまって早一ヶ月。
日課のランニングをすっかりサボり、1日1本計画の映画鑑賞もなあなあになって、ひたすらにレビューを書く毎日。
久々にレンタルでもしようかと思い立って、借りてきたのがこの作品。
落ち目の元人気俳優が自身のプロデュースする舞台で再起を図ろうとするストーリー。
いや~、面白かった。
あっと言う間の二時間。
大作映画への皮肉が散りばめられ、事実は小説よりも奇なりと言いたげなコミカルな演出に、俳優達それぞれの個性が光る生き生きとした演技。
それらを、ほぼ全編がなが回しという驚異の映像で見せつけます。
厳密にはなが回し風なんですが、それはまぁ置いといて。
この映画って映画の中で更に舞台を描いているもんだから、なが回しの効果と合間って舞台の外側を現実と錯覚してしまうんですね。
僕らの現実とリンクした映画ネタも随所に登場しますし。
マン・オブ・スティールの看板がさりげなく写り混むシーンは皮肉感たっぷりでした。
そんで、なが回しによって劇中の時間の連続性が示されると同時に、演者と観客の時間感覚が近くなる。
すると、それが逆に僕らの日常の連続性をも示す事になるんです。
でも、普段はそんな感覚を抱かずに生活している。
何か出来事が起きればそれに応じた立ち回りを僕らもしているんですね。
主人公が本番中、急に幕を引く場面。
現実ではそうはいきませんね。
主人公は実際に映画の中での現実で、次々と問題に直面しどうにか乗り切っていく。
台本なんてない、閉めることの出来る幕すらないんです。
その状況はこの映画を見てる僕らにも言えることで、その辺りを演出の上手さで見せていく。
そんで、そんな事を考えていたらなが回しの映像がそこまで気にならなくなってしまったんですね。
恐らくその見方は正しくて、あのなが回しは日常の連続性を示せればそれでよくて、その連続した日常のなかで主人公達の立ち回りがあるんです。
それでようやく本題。
無知がもたらす奇跡ってなんなのか。
この映画、過去の栄光にすがっていた
男の再生の話です。
それをファンタジーの要素を交えて描いている。
最後に主人公が何を手にしたのか。
多様な解釈が出来るラストでした。
僕ね、この映画を見たあと久々にランニングをしました。
一ヶ月近く走ってなかったもんですぐに脇腹が痛くなっちゃって。
いつもは、フォームを気にしたり、タイムを気にしたりするんだけど、そんなことがどうでも良くなって、闇雲に走ったんですね。
ヘトヘトでゴールの公園についてふと時計をみると、それがなかなかいいタイムだったんです。
1ヶ月のブランクがあり、さらにウィスキーも数杯引っ掛けて、コンディション最悪の中がむしゃらに走ったわけです。
無知がもたらす奇跡ってこういう事なのか?
んなわけないか。
走ったあとのスポドリを買うために持ってきた100円。
よく見たら10円だったという驚愕のオチ。
ここで幕ひきなんてできませんから、100円取りに帰りました。