観た回数:2回
直近の鑑賞:Amazon Prime(20.03.07)
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【STORY】
ジョーの話は続く。オーガズムを喪失してしまった色情狂は、更に過激な方向へ進んでゆく。
そして、語り終わったジョーが発する結論は…
【更に過激に】
後半戦でも性を語り続けるのですが、オーガズムを失ったジョーの取った性的選択は前半戦よりも更に刺激的になります。
スプーンを性器に入れて遊ぶなんて本当に不愉快で酷すぎるのですが、前半戦で既に倫理観を破壊されているため少し面白く見えてしまいます。
その後も笑える(?)シーンはいくつもあり、勃起したままアフリカ系の兄弟がが喧嘩したり、クリスマスプレゼントが愉快だったり、今作でもトリアー監督は倫理観を笑い飛ばしまくります。
"K" とジョーの関係の描かれ方は非常に生々しく丁寧で、通常の性行為でない描写もしっかり性的に見せつけます。
1回目で "チェックだけしてやめちゃう" シーン、ああいうシーンで監督の凄さをまた実感します…
【セリグマンという男】
セリグマンがなぜ淡々とジョーの話を聞けるのか、1作目で印象的な彼のその態度についても、理由が明かされます。
そんな彼の表情も、過激化する話に少し歪んでいきますが…
【少数派抑圧への皮肉】
今作は少数派を抑圧する人間が蔓延る社会への皮肉をふんだんに含んでいました。
そんな社会で、性的嗜好がマイノリティーな彼女は、努力して社会に適応しようとしたり開き直ったりと自分のスタンスを固定できない状態が続きます。
セリグマンがペドフィリアを険しい表情で嫌悪し、知識人の彼が無意識に "抑圧する側" の思考を持ってしまっている事がしっかり分かった時、僕は彼に苛立ちました。
でも僕も普段はセリグマン寄りの考えが全くないとは言えないことも思い知らされました。
ペドフィリアなど性癖の種類によっては、実行するかどうかに関わらず、"生まれながらの性癖" 自体が軽蔑されがちです。同性愛や変わったフェチは個人的に何とも思わないのですが、一部の性癖については僕も無意識に軽蔑していた気がします。
そんな僕がセリグマンに苛立ち、思考する機会を与えられました。まんまとトリアー監督に乗せられ、価値観の変革を促されたようです。
そして彼女が出す結論はハッピーエンドなのかバッドエンドなのか。上記のような価値観の変革が起こるかどうかで、観る側の結論も変わります。そこまででもう、今作のすごさ・ヤバさは重々実感したのですが、それで終わらないのが今作。
オチまで必見です。
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【自分用メモ】
"人の特質はひと言で表せる。偽善よ。正しいことを言う悪人を称賛し、間違ったことを言う善人を嘲笑する。"
"打つまで叫ぶな"
"感傷的なのは嫌い。嘘だから"
"セクシャリティーは 人間にとって最も強い力よ"
"生きる価値のある人生か?"
・東方教会(幸)と西方教会(苦)
・ノアの子は笑って生まれた
・多形倒錯
・社会は臆病
・()→👁
・木の魂、捻れたジョーの木