うーむ。「大作」であることには違いない。けれども、360度自由自在に動き回り、常に「そこ」にい続ける完全映画的なカメラワークは、それ故にベッタリと説明的で、映画的な呼吸を失ってしまっているように思えた。
もちろん、そんな事は百も承知の筈で、むしろ映画の文法を変えてしまうような大型の野心に満ちた「大作」なのだけど、やはり、その野心がここまで全面に出てしまうと、作用反作用の法則でこちらはつい引っ込んでしまう。
つまり、物理的に繋がってない筈のものを繋がって見せたり、繋がってないものを繋げざるを得ないからこそ、何かマジカルな作用が生じるのが映画のモンタージュであったところを、「本当につなげてしまう」ことによって、得たものよりも失ったものの方が大きいのでは?という理屈。
もっと単純に言えば、「そんなに1から10まで写す必要、本当にあるのかなあ??」ということで、個人的には、超大作型失敗作として敬意を表するにとどめたい。