紅蓮亭血飛沫

デビルズ・ノットの紅蓮亭血飛沫のネタバレレビュー・内容・結末

デビルズ・ノット(2013年製作の映画)
2.2

このレビューはネタバレを含みます

トレーラーや「悪魔は、誰か」と言うキャッチコピーを通し、本作は真犯人を見つけ出す推理作品と思いきや、かなり胸糞悪い結末のまま幕が降りてしまう、というラストに驚く人が大半かと思います。

幼い子どもが惨殺された事件の容疑者として捕まった10代ほどの男3人。
しかし彼らの証言と実際の現場の様子は辻褄が合わないすれ違いを起こしており、疑問を抱く主人公が独自に捜査を進める…というのが大まかな話運びとなっています。

この事件は実際に起きたもので、現実においてもこの事件の明確な犯人は未だに特定されていないのだそうです。
そう、劇中で容疑者として扱われた男3人は実在し、その果てに牢屋行きとなりましたが、結局は真犯人ではなかったのです。
では何故彼らが犯人としての汚名を被ることとなったのか。
その原因は、彼ら3人が普段から怪しい人物であった事、黒魔術やデスメタルといった人々から気味悪がられる物を好んでいた事…といった、普遍的な印象が人々の間で根強い事から疑惑が膨れ上がり、そのまま犯人とされてしまった…という民衆による印象操作だったのです。
オカルトや黒魔術、デスメタルといった人々から忌み嫌われるカルチャーにハマっていた3人は、いとも容易く容疑者として決めつけられたのです。
そうと決まればこんな不気味な事件はあの3人のせいにしてとっとと判決下しましょう、と裁判側も民衆とグルなのではないかと疑わずにはいられない程に淡々と、証拠が不十分であったり(証拠を警察側が紛失…⁉︎)、証言が食い違っているにも関わらず、理不尽に裁判は進み、3人は罪人という烙印を押されてしまう…。
そんな馬鹿な、と思うかもしれない出来事ですが、これが実際に起きたというのが本作の大きなポイントです。

この筋道から、本作は極々簡単且つ鮮明な道徳的メッセージを込めた作品といえます。
人を疑うのはまだしも、その人がやったわけでもない決定的な証拠もないのに犯人として仕立て上げてしまった人々の集団心理、その心理に乗せられたのか、もしくは何らかの隠蔽を施したかったのか、裁判という名の魔女狩りに傾いた法廷からは、気味の悪さ以上の吐き気を催す邪悪を感じずにはいられません。

歴史上実際に起きた魔女裁判、偏見・差別・日頃の印象からいとも容易く犯人へと仕立てられた実際の事件をモチーフにした作品という事もあり、鑑賞前のイメージとはかけ離れた着地点に「思っていたのと違う」と肩透かしな気分になる方もいるかと思います。
本作は、映画としての面白味よりも“映画という媒体を通して、この残酷な事件に隠された背景を人々に認知してもらいたい”という狙いに特化した映画ではないか、と。
見終えた後は心穏やか、爽やかな気分に…とは言い難い着想を抱く映画ですが、死ぬまでの長い人生の間に、一度は目を通した方がいい映画だと思います。
こういう歴史上背景を綴る映画は結構好きですし、見終えた後の余韻は勿論のこと、こんなに痛ましく残酷な事件が起きた歴史へと思いを馳せる1日を過ごせますね。
こういう1日も悪くないなぁ、と。