約2週間の短い北欧の旅の往路、フィンエアーの機内映画にて何の気無しにただただ暇つぶしのつもりでこの作品を再生した。
実際の旅は良いものにはなったが、この映画の約100分を越えることは無かった。冒頭もいいとこの、往路の機内が旅のハイライトになろうとは。
ソフィーのような女性は実際に存在する。
この映画を好きな人の多くは多分、彼女を自分の知っている似た女性に重ねながら鑑賞すると思う。
現代社会における基準では、多くの場合それほど目立って活躍するタイプではない。
むしろ生きることが不得意かも知れない。というよりはそもそも敢えて現代の社会システムに参画しようとしない。
「世界の捉え方の軸」が全く違うのだ。
けれども、笑顔がとても素敵だったり、コミュニケーションが上手だったり、ユーモアのセンスがあったり、驚くほど人や動物に優しくできたり、そしてたまに核心を突く発言をしたり。
天真爛漫で天衣無縫。
宗教や神話といった、形而上学的なことを直感的に理解する (つまり現代においてまだ数値化されていない何らかの能力が卓越している)。
頭でっかちな唯物論者が必死こいて論理的に思考して出した結論めいた意見に対して「え?そんなの当たり前じゃん」と生まれた時から知っていたような反応をする。実際多分そうなのだ。
「ちょっと違う子」である。多くの人はこういう子を魅力的に感じる。けれども普通は色々なものに縛られ、絶対にそうはなれない。自分の感性や直感の赴くままに生きることは難しい。
社会に迎合してないからこそ、その純粋さに、素朴さに、勇敢さに魅了される。
宗教や神話は「真理」なのかも知れないし、単なる「ファンタジー」なのかも知れない。人類が存在している以上、「神が人をつくった」のか「人が神をつくったのか」の議論が終結することはないだろう。
けれども多分、ひとつだけ確かなのは「人間の願望と無関係ではない」ということ。
生きていると色々と悲しいことはある。愛する人と別れないといけないこともある。
そんな時、人はどうにかしてまたその愛する人と会いたいと思う。
まだその人が姿を変えてこの世界に存在しているかも知れない。
自分も死んだら、死後の世界があってそこで再会できるかも知れない。
魂というものが存在していて、輪廻しているのかも知れない。
こういったことはずっとずっと人々の切実な「願い」だった。
「悲しみは時間が解決してくれる」とよく言われる。それも一面においては正しい。でも、どれだけ時間がかかっても癒えない心の傷もある。だから人は救いを求める。
立ち直るのが難しくなるほどやるせない経験をしたことがあるのは自分だけじゃない。
世界中で多くの人が、絶望に打ちひしがれながらもどうにか力強く前を向いて歩こうとしている。というかみんなそう。
そんな当たり前なことを再認識させてもらえたと思う。
ラストシーンにRadioheadのMotion Picture Soundtrack。圧倒的カタルシス。
それ以来、この曲を聴くたび(頭の中で再生しただけで)に涙が溢れる。
「実際に輪廻があるのかどうか」ということはあまり問題ではない。
大事なのは「愛」であり「想い」であり「人が前に進もうとする意思」だと思う。
切望から「かも知れない」という、"否定の証明が難しい希望"を抱くくらいは許して。
映画は、生きることを肯定してくれるものであって欲しい。
切なさと多幸感がぎゅうぎゅうに詰まってて心が洗われる。
この映画に出会えてよかった。