せきとば

沈黙ーサイレンスーのせきとばのレビュー・感想・評価

沈黙ーサイレンスー(2015年製作の映画)
3.4
何よりもムカつく窪塚の演技がMVP。

ふらふらふらふらとし続けるキチジロー(窪塚)の人間としての罪の深さ、しかし彼の生き様こそ形ではなく概念の実践を理解したキリシタンの姿(と最後の最後で言い切る事もできなくなるのはやはりユダの側面としての罪の深さか…)。どれだけ形を捨てたとしても、沈黙がある限り信仰は守られ深くなる。

フェレイラもロドリゲスも「絵踏み」をし、「棄教」した。形だけのことと言いながらその「形」に強迫的に拘る幕府側は、一定の譲歩をしているように見えてその実では結局の所彼らの信心は理解できないだろう。そして理解できないが故にパドレ達は”沈黙”することができたのである。

「語り得ぬものについては沈黙しなければならない」というのは僕の中で禁句にしている(この言葉を気軽に引用するのは素人の証だから…)が、この言葉とて沈黙とはただ消し去ることではなく、やはりありとあらゆる方法で語り尽くさねばならぬのだということを再認識する。

つまり我々は(仏教用語で申し訳ないが)固定観念を捨て去り、(仏教用語で申し訳ないが)形から解脱し、そして(仏教用語で申し訳ないが)悟らねばならぬのだ。そうした誰にも理解され得ない言語ですらない語りの果てに罪は赦されるのかもしれない。
せきとば

せきとば