Takaharu

沈黙ーサイレンスーのTakaharuのレビュー・感想・評価

沈黙ーサイレンスー(2015年製作の映画)
4.7
宗教っちゃ、何なんでしょうね。
もっと言えば、人の人生って何じゃいっていう感じですね。
最近は、物事を結構俯瞰して考えることが良くあって、つまり、出来事は何でも大局的に見れば一瞬の雑事であって、地球の歴史や宇宙的な規模から見ると、悩みもへったくれもないっていう。
あと、死んだら全部終わりっていうか、松方弘樹の葬式に参列した梅宮辰っちゃんのコメントじゃないけど、それでお終いであって、結構呆気ないものだと考えることが多い。
子供の喧嘩や、動物の争いを僕らが見ても、何かやってんな〜って思うくらいのもんで、でも当事者からすれば本気だし、大人や人間にそう見られてることすら当事者は認知出来ない。目の前にあることのみが当事者にとっての現実っていう。
下手したら、モルモットの実験みたいに、地球の人間達も、認知出来ないだけで、同じように誰かから観察されてるのかも知れないと思うこともある。

まあそんなことは置いといて、この映画における、歴史や宗教の整合性とかに関しては、見識が乏し過ぎて、それについてはどうこう言えないので割愛します。

ただ上に書いたような視点から観ると、人間にとっての宗教や、人生観、人間同士の関係について良くよく考えざるを得ません。
俺からすれば、特定の宗教を信仰する気が知れないというか、信仰してたとしても偶像の踏み絵なんて、早く踏めよ!ていう苛立ちをどうしても感じてしまう笑。
んで、迫害されて苦しむのも一つの修行というか、この苦難も道のりだ!とか、殉職こそが正義だ!なんてまぁ〜理解出来ないけど、日本人に馴染む発想だなと思える。
寧ろ、意外と西洋でもこんな発想するんだっていう。
やっぱり根本的に人間はM性が強いのか、というか困難によって自分の存在意義を相対的に強めるから、それを求めてしまうんじゃないかとこれを観て感じたね。
いわゆる、悲劇のヒロインじゃないけど自ら破滅型の恋愛に走っちゃう乙女心と同じで、自己が確立していないが故の脆さ。
逆説的に言うと、自分の存在意義を見出せないことが人間にとって一番辛いことであり、だから宗教にも頼るし、神風特攻隊なんてのもそれと同じで、ただの自爆じゃ正当性も役割もあったもんじゃないけど、お国の為だと(無理矢理にでも)思い込んだら敵艦に突っ込めるっていう。
それと、村という人間関係の中での宗教の在り方も見えて良いと思った。ここで絵を踏んだら村八分だ、とか。村の人間関係が全ての中で、合理的な判断なんて付かないな〜。殉職していった人間の中にも、本当は踏んで楽になりたいけど、その辺が頭によぎって出来なかった人も相当数いる筈だよ。だから窪塚くん演じるキチジローの役割も際立つ。弱いことが、逆に強いっていう。

何にしろ、観終わった後にかなりの余韻を残されました。あと劇中、音楽なんて一切流れてなかったのに、エンドロールでサントラ発売中と出てたのには笑った。そんなサントラねーだろと笑!

ちゃんちゃん!
Takaharu

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