Taketo

沈黙ーサイレンスーのTaketoのレビュー・感想・評価

沈黙ーサイレンスー(2015年製作の映画)
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物語的にはキリスト教から隠れキリシタンになる物語だと思いました。この国にはキリスト教は根付かないというセリフがありますがならば根付かない土地に根付かせるために品種改良されたのが隠れキリシタンなのだと思いました。
物事は理解しているからと言って実際にできるとはかぎらないです。ある種の体験を経て本当にできるようになる事はたくさんありますし、分かっているけど出来ないという事は誰にでもあると思います。ガルペは五島に行き、そこに住む人たちの物を崇拝する姿を見てあまり良い傾向ではないと思います。しかしガルペ自身もその事を理解してはいますが実際は実行はできていないです。
なぜなら彼は川に映った自分の姿を神のお告げと考えて喜び、また神的で具体的な救済を求めていますし、当然絵踏みもできないです。水面の映ったキリストの姿が絵であるのはまさしく具象的なもにとらわれているからだと思います。
しかし、その彼が絵踏みをするそれは決して信仰は歪められないと彼が気付くからだと思います。
作品の中では神的なショットが出て来ます。つまり完璧な俯瞰アングルの映像です。ロドリゴ達が歩いているカット、船が海を渡るカット、絵踏みのカット。このカットは沈黙の中で神はロドリゴ達の動向をしっかり見ているととれます。
つまりそれはロドリゴが絵踏みをする瞬間に聞いた神の言葉ともつながります。「共に苦しんだ」と。

序盤のシーンのロドリゴとガルペと神父が会話をしているシーンでは個人的にはありえないようなカットつなぎが行われていたように感じました。あれはどういう意味があったのか凄く気になります。僕はアクションカット厨ではありませんが、全体的にはジャンプカットとは言いませんが区切るようなカットつなぎが多くて気になりました。

塚本晋也演じるモキチが海の上に吊るされ殺されてしまうシーンはガチで涙が出そうになりました。塚本晋也のいかにも百姓の見てくれで痩せぼそった身体が波をくらいながらも横に吊るされているじいさまの事を気遣う姿に感動したのもありますし、歳をとって涙腺が緩くなっているというのもあるのですがそれとは別に、以前NHKで見た塚本晋也のドキュメンタリーでの塚本晋也を見ていると物腰柔らかく優しそうな印象を凄く感じていました。そして塚本フリークのマーティン・スコセッシの作品に塚本晋也があんなにも体当たりの役をやっている事実にもなんだか感動しました。
ちなみにあのシーンは台湾の映画用のでっかいプールで撮影しているそうで「ライフ・オブ・パイ」もそこで撮られているそうです。そして、このプールをスコセッシに紹介したのはアン・リー監督ということで「そこもつながるんかい」と思いました。
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