スポック

沈黙ーサイレンスーのスポックのレビュー・感想・評価

沈黙ーサイレンスー(2015年製作の映画)
4.5
信仰と生存
信念と対処
江戸初期の武士に限らず、世界中の支配層が国を守るために下々の民衆達をいかにしてコントロールし利用するかの苦悩。
キリシタン達の純真な殉教による悲壮な死に様を尻目に自分達だけが生き残った聖職者たちが死を迎えた最後に信仰の象徴と共に葬られるシーンは、消え去らない信仰への執念か、はたまた信念を捨ててまで柔軟に生存へ対処してきた免罪の証なのか。
強烈に帝国主義を推し進める強国の中国に隣接する閉ざされた島国の日本において太古の昔から社会を統治する権力者側は、厳しい自然環境や逃れられない重税の取り立てに苦しみ無法状態になりがちな大衆達に、規律と理性を植え付け統治するために仏教や神道などの宗教・信仰を利用して世を治めてきた。
権力者側は宗教の力強い統治への影響力を知っているが故に、あの当時にアジア諸国を植民地化して搾取している恐ろしい侵略国の欧米人が流布するキリスト教は自国の安全のためにどうしても食い止めなければならなかった。
アジアに対する暴力的な植民地政策を推し進めている欧米の異教を自らの命を捨ててまで頑なに固辞しようとするキリシタン達の狂信ぶりに、権力者側は社会転覆の企みを予感させる恐ろしさを感じ、日本社会を守るためになんとしても如何なる方法を取っても排除せざるを得ないと感じたに違いない。
当時の世界中を好き勝手に武力と阿片政策などの卑劣な侵略で荒らしまくっていた欧米政権の暴力的で一方的な植民地化に対して、日本に渡来している博愛主義であるはずのキリスト教の聖職者達は、自国である欧米の非人道的な横暴には異論を唱えずにいた事が、日本社会から見れば欧米の植民地政策を浸透させようとする邪悪な先兵と映った事は仕方のない事だと思う。
何事も現在の国際法が整っている民主的な環境下の価値観で過去の時代を評価しては間違う事が多いと再認識させられた。

役人達は権力を持った立場として人民を恐ろしいやり方で統治せざるを得ない時もあり、国を守る責任を全うしようとする苦悩の中で、非人道的で卑怯なやり方を駆使しながらも、ひょうひょうと任務を遂行するイッセイ尾形の演出が良かった。