ともぞう

肖像のともぞうのレビュー・感想・評価

肖像(1948年製作の映画)
3.0
画家の家族を追い出すために、部屋を間借りしたすれっからしの男女が、純粋な画家一家に徐々に心を動かされていく。最後、ミドリは心を入れ替えて生きていくことができるのだろうか?

〈あらすじ〉
ミドリ(井川邦子)は若いお妾であった。その旦那の金子(小沢栄太郎)は家屋売買のブローカーで、商売友達の玉井(藤原釜足)と2人で、格安なアトリエ付きの家を買った。だがその家には老画家の野村一家が頑張っている。金子も玉井もこれには手こずったが結局、野村(菅井一郎)が2階の一間をあけるというので、野村を追い出す算段のため金子がその室に入ることになった。引越しの日、ミドリはふてくされていたが、意外にも野村一家の人たちから「お嬢さん」として迎えられ、やむなく金子とミドリは父娘として住みこんでしまう。下のアトリエに住む野村一家とは野村画伯とその細君(東山千栄子)、明るい娘の陽子(桂木洋子)、まだ復員しない息子の一郎(安部徹)の妻の久美子(三宅邦子)とその子英一たちで、だれもかれも今の世に珍しい善人であった。その人達の中でミドリはいつか貧しいけれど明るい健康な生活に対する憧れに似たものが胸にこみ上げ、今まで濃いルージュを塗った唇に煙草をくわえていた様な彼女が形だけでもお嬢さんらしく振舞うことに、微かな人間的な喜びを感じるのだった。そうしたある日、野村から肖像を描かせてくれと懇望されたミドリは野村の澄んだひとみの中で自分の本当の姿が見破られることを怖れたが、とうとう承諾してしまう。ミドリの肖像画は野村の異常な情熱の中で進行した。だがミドリは一人の娘としてモデルになっていることが次第に苦痛になってきた。それはウソの皮にとじこめられた良心的な苦しみであったのだ。とくに陽子とその恋人の中島(佐田啓二)の明るい交際を目の前にみて、同じ年ごろである自分の心の裏ぶれに耐えられなくなり、モデルも辞め、この家もとび出していこうと金子にせがむ。やはり彼女は肩の張らない自堕落な生活が良いと思うのだ。その日お妾友だちの芳子(三浦光子)のアパートで酒を飲み、酔って家へ帰るミドリは、もうお嬢さんの皮をかぶっていることをかなぐり捨てて、「わたしはお嬢さんじゃないよお妾だい…」とうつろにわ、喚くのだった。アトリエに帰って「肖像」の前に立ったミドリは「こんなとりすました奴は殺してしまうんだ」とパレットナイフで突き破ってしまおうとする。だが久美子がこれを見て、激しくミドリに言った。「あなたは強く生きることを怖がっているのです、私が貴女だったら自分にナイフをつき刺します」と。その言葉に、ミドリはわあっと泣き出してしまう。翌朝、ミドリは姿を消していた。彼女は嘘のない強い生き方を求めていたのだ。その年の秋の展覧会に、野村画伯の「肖像」はすばらしい好評であった。会場でその「肖像」をじっとながめているのはかみの毛を無雑作にたばね、心持ちやせてはいるが、何か凛然としたミドリの姿であった。
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