岸田エンマ

エロ将軍と二十一人の愛妾の岸田エンマのネタバレレビュー・内容・結末

エロ将軍と二十一人の愛妾(1972年製作の映画)
4.1

このレビューはネタバレを含みます

ポルノ映画だと侮るなかれ。
これはポルノを含んだ悲劇と喜劇、そして権力が蠢く現代社会で疲弊した人々に捧げられた映画なのだ!!

主人公の角助は生粋の色好き男。彼の色好みは越後の田舎にとどまらず、とうとう都会の江戸へ向かうことになった。
一方、角助と同日に生まれた次期将軍の豊千代は対称的に学問の虫であった。しかし、浮世離れな環境で育った影響で、女に対してはめっきり無知!老中・田沼意次が吉原一の芸者をあてがっても恐怖で逃げ出す始末である。ところが不慮の事故で豊千代と芸者がドッキングしたまま離れなくなってしまったから、さぁ大変!将軍継承の儀が迫る中、田沼は権力を嫌う鼠小僧(女義賊)からある提案を受ける。それは豊千代と瓜二つの角助を将軍として祭りあげることであった…

以上が映画冒頭のあらすじであるが、ここから書くことはネタバレを含むのでご了承頂きたい。角助は豊千代の代わりとして11代将軍となるが、当然色好みだから大奥に出入りするようになる。角助が純粋な田舎者であるがゆえに持っていたハーレムの夢が滑稽に満たされるの対して、大奥の環境が対比的であるのが印象に残る。将軍以外の男が入れないことになってる大奥は禁欲的で、純粋な欲を持つ角助によって盛大に破壊されるのは観てて心地が良いものである。怪獣映画の街破壊に通ずるものがあるのではないか??しかし、角助はあくまで豊千代が復帰するまでの繋ぎで、田沼の傀儡である。映画前半は権力に利用されながらも純粋無垢な角助の滑稽な様子に可笑しさを感じるが、次第に権力の足音が角助に迫ることで悲劇へと転換する。

色にしか興味なかった角助が書物を読んで政務に励んだりと、外見以上に将軍へと変貌しつつある角助の様子を見た田沼は危機感を覚えるが、豊千代が戻ってこない現状を盾に角助は強権的となっていくのであった。家臣に忠誠を誓わせるために陰茎切腹をさせたり、田沼の妻娘を寝盗ったりと性欲とそれ以上の権力欲に溺れていく角助のシーンには戦慄を覚えた。「これってポルノ映画だよな?」と感じた程である。この影響は大奥にも波及し、AV企画のようなセックスパーティーを開く始末である。大奥に仕えていた角助の彼女はこれに耐えかねて自殺してしまうが、これを機に角助の暴走が止まらなくなる。狂気に取り憑かれた角助役の林真一郎の演技は恐怖から垣間見える悲哀すら感じてしまうほど圧巻であった。

クライマックスでは人望すら失った角助が罪人に大奥の女を犯したら無罪放免だという法令を出してしまう。冒頭で大奥の女性に手を付けまくるシーンとは違った、混沌を極めた乱交である。権力が蔓延っていたとは言え、秩序が保たれていた大奥を権力に取り憑かれた角助によって崩壊させられるのは皮肉であり、意趣返しでもある。そこには権力に振り回された男の、滑稽な程の様変わりと純粋には戻れない哀しみが詰まっていると言えよう。また、最期に権力で疲弊しきった角助を将軍に仕立て上げた鼠小僧が躰を重ねるという点でも、このクライマックスは見逃せない。角助のことを利用できる駒と見てあしらっていた鼠小僧も、権力の犠牲者である角助に情が湧いてしまったのである。この瞬間、角助は初めて将軍の呪縛から解き放たれたのである。そして権力が絡みつかない一組の男女が交わり、角助は死ぬのであった。

この映画には悪人も大岡越前のように裁く者もいない。得体のしれない大きなしがらみに振り回される人々しか登場しないのである。そこには常に性と権力がつきまとい、人々を変貌させ時に犠牲を出してしまう。この映画を江戸時代が舞台の寓話だと捉えるなら、我々はここから何を見いだせるのだろうか?男と女がいて、情が湧いてセックスをする。ただそれだけで人間は幸福を得られたはずなのに、それを得ることができない。そんな江戸幕府と大奥の状況がセックスやそれ以外でもしがらみが存在する現代社会の生き写しに思えて仕方がならない。もちろんポルノや笑いの要素で構成されている映画であることは間違いないが、根幹となるテーマはこうしたしがらみへの逸脱ではないかと私は考えてしまった。

振り切った娯楽作でありつつも深慮してしまう一本であった。この体験は是非とも皆さんに共有したい。
岸田エンマ

岸田エンマ