先日「ウォーリアー」を観たから思ったが、「格闘技」と「音楽」という違いこそあれ其々映画の主題を伝える手段でしかないそれに一切の手抜きが無い事が素晴らしいという点で同じモノを感じた
「手段でしかない」と書いたが、じゃあ「音楽映画」としての純度は低いのだろうか?
「あなたにとって○○とは?」みたいな質問があるが、そこに音楽が入っても人によって様々な答えが返ってくると思う
この映画は中盤でのある展開によって「主人公にとって音楽とは?」の観客の答えがまるで変わってしまう
「受け継がねばならない遺志」では無く「唯一の対話」
音楽が人にとってどういう意味を持つのか?という点が浮き彫りになるという意味では、単純な音楽賛美の映画(それはそれで熱量が有れば素晴らしいが)よりもよほど「音楽」を考えた映画ではないかと思った
息子の作った歌がデスメタルでも歌っていたのだろうか