昔、日仏学館に大きなフジタの絵があった。その頃は良さがわからず、羨ましさもあってラッキーな人とか思っていた。
2018年の藤田嗣治没後50年展に行ったら、本当の画家の魂の入った絵に触れ、そんな浅薄な考えは吹き飛んだ。と同時にその生涯も知って感動した。
この映画は切り取ったパリの街角も日本の田舎の風景も本当に美しい。すごい。撮影町田博さん、覚えておこうと思った。
でも監督はフジタの何を描こうとしたのか。
生涯を追うのでなければ前半の酒場のシーンが無駄に長い。クリュニーのタペストリーに見入るシーンのような真摯な画家としての姿にこそ彼の本質がある。
後半の戦争画を描いていた時代が中心なら、戦後誹謗中傷を受けた境遇や、フランスに戻って帰化した彼の心情をなぜ描かないのか。あのランスの聖堂の壁画はそれだけでも充分に感動的ではあるが、せめて短いテロップとしてでも説明を加えるべきではないか。
十三夜や狐のエピソードも唐突感が拭えない。フランス文化に耽溺した時代があるからこそ日本の民話や伝統に魅せられた気持ちがあることの表現なら、彼の詩的な内面の掘り下げか、創作との関わりが欲しい。
せっかくのオダギリジョーという素晴らしい俳優が仏語の披露だけではもったいない。
調べたら、フジタ自ら録音したテープがあるらしい。
「必ず絵には永久に生きている魂があると思っております。」ほんとうの画家の言葉。