シエン

セッションのシエンのレビュー・感想・評価

セッション(2014年製作の映画)
3.2
狂気とか鬼気迫る。そんな映画。
この素直に手放しで絶賛できない感じが、監督の持ち味なのかも。
この映画で描かれたことが、本当に本音の監督のジャズ観なんでしょうか。
もしそうだとしたら、この映画を観たプロのジャズ奏者や教育者、ジャズに関わる人々の感想を、ぜひ聴きたくなるような作品でした。

現実にこういう超スパルタの指導をする人物がいたのかどうか。
監督はドラム経験者らしいので、現実の人物像を参考にしてるんじゃないかと思わせます。
今の世の中だと、多分こうした指導方法だと通用しなくなってそう。

音楽とか芸術の高みに到達するためには、この方法しかないのか。そうしたことに賛同したくない自分がいます。
でも、いわゆるシゴキやスパルタ指導が、多くの人に素晴らしいと思われるものを生み出すことは否定できません。

一方あることが大好きで努力を努力と思わない人や、あっさりと高みに到達してしまう人(天才)もいますよね。
ドラムなら、もう四六時中ドラム叩いてても全然苦じゃないとか、先生納得のレベルのドラムを短期間で叩けてしまう人とか。

あらゆるものを犠牲にしたり、人格否定されるレベルのシゴキに耐えぬいて、ようやく手に入れた成果を、そうした努力を努力と思わない人や天才があっさりと超えてしまうのを目の当たりにして思い知らされた時、それが本当の絶望になってしまわないのか、なんて想像したくなってしまいます。

そんなにテンポテンポ言うんだったら、ドラムマシンにでも演奏させたらいいんじゃないかとか思いたくなったり。
まあそういうことじゃないんだと思いますが。

この指導のやり方は、多くの犠牲を出しても構わない、たとえ当人の幸せを蔑ろにしてでもOK。納得できるレベル、自分が思い描くジャズの理想像に近ければ、他はどうでもいいと割り切っていないとできないことであり、まさに狂気的ってことなんだと思います。

罵られて悔しいとなり奮起してむちゃくちゃ練習したからこそ素晴らしい演奏ができるようになったと繰り返し述べられてましたが、ウツになるレベルの罵倒を執拗に繰り返す必要があるのかなんて思ってしまう。このあたりは映画的演出として取り入れただけかもしれませんが。

ラストの鬼気迫る演奏は映画館の音響で観てたら、ゾクっとするものがあったかもしれません。

それにしてもああいう指導者だと(ラストの先生の仕返し?も含めて)、
「お前のためを思ってやってるんだ。」
が、いったいどこまで本気なのか指導される側は疑心暗鬼になり人間不信になってしまいそう。

あとロックでもやってればいいとか、音楽って受け取る側が楽しければいいんじゃないのみたいなのが出てきましたが、あれって監督の本音なのか、それとも自分のこういう映画に対しての皮肉なのか判然としないとこも、モヤモヤしてしまいます。
ジャズこそ至高の音楽だと考えているってことなんでしょうか。

いやほんとプロミュージシャンがこの映画観たら、どう思うのか気になってしまいますね。

…などなど、こうしていろいろ書きたくなってしまう映画だからこそ、多くの賞を受賞したのでしょう。見応えあったのは事実ですし。

それに自分がしたいことがあってやってる人は、やる気や気合いをもらった感じがあるんじゃないでしょうか。指導される当人にはなりたくないと思うけれど。
シエン

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