いつも雨

イニシエーション・ラブのいつも雨のネタバレレビュー・内容・結末

イニシエーション・ラブ(2015年製作の映画)
3.5

このレビューはネタバレを含みます

【原作との比較】
やはりトリック的に映像化は難しい作品。
ただ、原作よりもわかりやすいとも言える。
そして、登場する女性を映像で魅力的に描いていることで、作品の本質の強さを表現できていると思った。前田敦子と木村文乃がとにかくかわいい。観ながらかわいいって100回くらい口に出した。個人的には映画版の方が好き。


【内容について】
恋愛の仕方に正解なんてない。
純愛なんてありえないとは言わないが、純愛だけが正しい恋愛観じゃない。人それぞれである。

だって恋愛の本質は欲望だから。
(性欲という意味でもあるし、将来のパートナーとして「最適な」相手を見つけるための欲という意味でもある)

付き合うということは愛を誓うことにはなり得ない。

自分がなるべく傷つかないためにリスクヘッジだってするし、だからといって相手に愛がないわけじゃない。
だから、繭子はちゃんと愛していたし、辰也もちゃんと愛していたんだと思う。両者ともちゃんと愛していた中で、どちらを取るかということなんだと。

ただし、相手とはイーブンでないといけない。だから自分がしていることを相手にされていても文句は言えない。
その点で、辰也は繭子にされていたことに決して文句は言えない。

むしろそういう割り切った恋愛観は、恋する相手として理想だとも言える。なぜなら相手を満足させてあげれば、それにはちゃんと応えてくれるはずだから。
相手を満足させられる、させられないにはもちろん二人の距離や環境の変化など外的要因も無視はできない。環境が変わり、違う誰かと出会うことで、相手に満足できなくなることもあるし、遠距離で平日会えないことに対する不満も、仕方ないから我慢しろとは言えない。それらも含めて満足させてあげることが必要なのだが。

つまりどこまで行っても恋愛は自由で仕方がない。だからこそ、結婚という契約の価値が出てくる。絶対にこの人は離したくないという人とは結婚しないといけない。結婚してからの「自由」はそれだけでイーブンではなくなり、アウトだからである。


僕が乾くるみさんの原作を読んだのが、大学生の頃でした。その頃は初めての彼女と初めてのセックスをして、この人が自分の一番だと信じ、お互いに依存し合って生きていた、まさにイニシエーションラブ期でした。
その頃の僕にはまだ「いろんな恋愛観」は理解できませんでした。

それから10年。大人になって、たくさんの恋愛観、結婚観と出会って、いろんな恋愛をして、繭子のことも、辰也のことも、石丸さんのことも、全て肯定できる、そして自分の恋愛観を肯定してくれる作品になっていたことに、映画版を観て気がつきました。



結局幸せになった者勝ち。
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