尿道流れ者

さらば、愛の言葉よの尿道流れ者のレビュー・感想・評価

さらば、愛の言葉よ(2014年製作の映画)
2.0
飛び出る裸体に飛び出る文字。立体視を作り出すために用いられるのではなく、全く別のものとして両目を欺くために3Dの効果が用いられる。これがゴダールの3D。刺激的で実験的。しかし、つまらない。まさにゴダール映画。

政治・戦争・自然というここ最近のゴダールらしい要素が噛み合うという点もザ・ゴダールという変わり映えのない内容。民主主義から共産主義などの全体主義への傾倒、そこに絡むファシズム的な危険性、そして全体の解体と個の孤立。しかし、その個すら孤立しきれるわけではなく、自らとの対立は免れられないとかなんとか。ゴダールの政治観からくる現代への警鐘を、これまたまぁうっとおしい表現と言葉で打ち鳴らしてくる。
「さらば、愛の言葉よ」という邦題。しかし、原題では「さらば、言葉よ」と訳されるもの。二つを合わせるなら「さらば、愛すべき言葉よ」と言えるだろうか。
ゴダールが映画で用いる言語は、ほとんどが引用で、誰かが言っただの、あの本ではこう書いてあっただのと、知らねぇよと言いたくなる言葉の連続。それらは、結論として使われた言葉で、映画の中で突然出てきても、行き過ぎた極論としてしか受け入れがたい代物。なので、言葉が残らない。言葉は流れ、言葉への興味を失う。だからこそ、言葉に頼らない真なるものを目で捉えようと励むことになる。言葉で作られた牢獄、しかしその鉄格子には興味が無い、自分と奇しくも相部屋となったそれが何なのかという好奇心に目が向く。政治に対して興味の無い僕にはあまり身につまされる危険性を感じられず、ワンちゃん可愛いという感想しかなかったが、ビシビシくるエグさは映画的という領域を超えたものとして伝わってきた。

ゴダール映画の会話は糞みたいにうっとおしい。極論と引用ですぐにお腹一杯になる。しかし、それでもゴダール映画をみたいと思うのは自然と人の調和をこれほどまでに映像的に美しくとれる人はいないと思うからだ。気狂いピエロの海と人、アワーミュージックの森と人。しかし、この映画は3Dや演出によって自然の美しさを酷く損なっている。赤や青などの政治的な隠喩を込めた色付けは意味深で良いものかもしれないが、断じて求めてない。自然と人、それだけでいい。それ以上に雄弁なものはこの世にはないし、それ以上は求めてない。ゴダールさん、あなたはチョムスキーではないのです(チョムスキーも政治を語れば批判の対象でしかないが)。映画としての面白さをもう一度狙って欲しい。でもワンちゃんは可愛かった。本当に。