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とうもろこしの島のakqnyのレビュー・感想・評価

とうもろこしの島(2014年製作の映画)
5.0
久しぶりに素晴らしい映画を見た。キュアロンのROMAと同じような、多くを語らず、静かに、ただその営みを通して社会と人をこれでもかと鮮やかに描く。そのための完璧に計算された脚本と設定。。
自分の好きな映画のパターンが初めてわかった気がした映画。


2015年から旧ソ連国の呼び名から国名を変え、一気に日本でも知名度が上がりつつあるジョージア。
あのあたりのコーカサス地方は、地政学的にもアジアとヨーロッパの結節点であり、民族や宗教、言語が入り混ざる。古くからロシアやソビエトの支配下にありながらも自治が認められてきた歴史から現在の国境とは別に国際的には承認されていない自治州がいくつかあるようで、アブハジア自治共和国もその一つ。

この映画ではアブハジアに生きる老人と孫娘が、中洲の肥沃な土地を耕しとうもろこしを育てながら慎ましく暮らす様子と、彼らを取り巻く社会を美しい自然とともに描く。


冒頭、初めて口を開いた娘が「ここは誰の土地?」と尋ね、「耕したものの土地さ」と老人が答える。その答えが最後までずっしりと重かった。
まるで我々人間が、自然に対して「所有」という概念を持ちこんでしまったことが、全ての始まりであったように。


この映画では戦争という民族宗教言語歴史の対立が主題だが、むしろ自然という、人の営みを超越した存在を通して、相対的にそうした問題を強く鮮やかに描く。

肥沃な土地を求めて中洲でとうもろこしを育てるという、大自然のごく狭い土地に暮らしを求める行為こそ、人間が限られた土地を所有し、取引し、土地を求めて争うという壮大な比喩である。
また、主人公になる老人と孫娘、対する成人男性という構図も、戦争はいつも男のものであるという比喩である。

嵐の夜に現れた負傷したジョージア兵と、孫娘の淡い関係は妙な緊迫感を持ち、初めて言語の違いから言葉が通じないこと、それでも人は人であるという事実、老人と彼は立場上表向きには分かり合えないこともわかる。

そして川の中洲というニュートラルな立場に置かれた彼らにお互いの軍の男たちが訪ねてきては、とうもろこしを踏みワインを飲み去っていく。まさに戦争は男の顔なのだ。


かつて孫娘が巻いた種子は、軍や男たちから覆い隠す壁となり、彼女の思春期の身体と彼女の暮らしを包むが、時は流れ、いつかは刈り取りのときが来る。彼女にとってそれは初恋の終わりであり、また大人になることの暗喩でもある。そしてまた嵐の夜が来て、ある命を助けてある命を奪う。往々にして節目とはそういうものだ。

その非条理さこそ、この映画が描きたかったテーマであろう。そもそも条理とは我々人間が自然という畏れ多い存在を規定するために当てはめているに過ぎない。自然を規定したことで我々人間は霊長たり得ることができたのだが、その反面で生理的な争いとは別の面の争いが大きくなったように思う。

老人が中洲に来た時土の中から出したものと最後のシーンの描き方も見事。久々完成度がずば抜けて高い作品見た気がする。。




ジョージアを初めて知ったのは、Casa BRUTUSでトビリシやゴリの近代建築を特集していた時。最近松屋でシュクメルリというニンニクとチーズの料理(めちゃくちゃおいしい)が展開してたり、雑誌で特集が組まれたり。

それでも未知で魅惑の国、Georgiaという名前にまだ慣れなくて、グルジアGruziyaという古い国名がなんとなく合う気がしている。
急速に脱共産圏の社会政策が進み、国を挙げてイメージ戦略を図っているためか、ジョージアという名前が、裏にある彼らの暮らしや歴史をなんだか覆い隠している気がするから。。
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