るるびっち

ビリギャルのるるびっちのレビュー・感想・評価

ビリギャル(2015年製作の映画)
3.6
コミュニケーション偏差値の話。
実はビリギャルも塾の講師も、友人や母親もコミュニケーション偏差値は高い。
成績が悪くても、コミュニケーション能力は高いのだ。
一方、弟を野球選手にしようとして挫折する父親や、厳しい事しか言えない教師はコミュニケーション偏差値が低い。
彼らは、自分のやり方を一方的に押し付けるだけだ。
相手の気持ちを汲んだり、相手の力量に合わせて対応を変える引き出しはない。対応力が低いのだ。

コミュニケーションというのは、伝える能力よりも相手の気持ちを汲み取ったり聞いたりする能力の方が大事なのだろう。
その能力が低いせいで、父親と弟の野球の夢は破れる。
ビリギャルをバカにしていた教師も恥をかく。
ビリギャルの勉強を邪魔しないように、遊ぶのを辞めると言い出す友人達は相手の立場を尊重するコミュニケーション能力が高い連中だった。
つまり頭の良し悪しとか成績の良し悪しよりも、コミュニケーション偏差値の高低の方が生きるには大事なのだ。

昭和の親父たちは、コミュニケーション偏差値が低いのだろう。
それでも高度経済成長期に成功したのは、支えている年少者が無口な親父の真意を汲み取っていたからだろう。
妻・子供・弟子・部下・選手等の汲み取り能力が高いお陰だ。
親父たちは妻と子供、弟子と部下に甘えていられたのだ。
映画の中でも、父親が実は親切だと知ったビリギャルが、「いいとこあるじゃん」と声をかける。
いい歳をして娘に碌に話しかけられず、逆に娘に励まされるのだ。
どこまで親父たちは、年少者の世話になれば気が済むのだ?
大人が子供を背負わず、子供に背負われるのが昭和の親父たちだ。
子泣き爺である。

本作の脚本も、言語化は上手だが説明過剰だ。
いわば、自分の方法論を押し付ける昭和親父型の脚本だ。
コミュニケーション偏差値が高いとは言えない。
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