最初からクライマックス。
いや、ほんとに。
三時間近くあるから徐々にエンジンかけてくのかと思ったら、冒頭から全開でした。
なんというか、今日ここに至るまで積み上げてきたマーベルユニバースだからこそ出来た映画。
サノスの目的が宇宙の総人口半分の消滅なのだけれども、それも、作品世界の登場人物に愛着や思い入れがあるからこそ危機感を覚えられるわけで。
その辺りが、ただ画面の中だけでワーワー盛り上がってるパニックムービーとは一線を画している感じ。
そう、これはヒーロー映画じゃなくパニックムービーなのだ。
民衆は言わずもがな、これまで地球の存亡をかけて超人的な活躍を繰り広げてきたヒーローたちもまた、鮫の到来を前に右往左往するビーチの海水浴客にすぎない。
サノスの目標である人口削減だが、これは現実社会でも問題になっていること。
資源も土地も限られるのだから、ある程度の人は間引かなきゃならない。
でも人権があるから誰にも出来ない。
じゃ、俺がやる。
それがサノスの主張である。
古来から、そういった問題は存在した。
その解決手段が、例えば神による病気の流布だったり、トロイ戦争などの勃発であったり、洪水であったりする。
サノスとは、言わばそれらの擬人化なのだ。
そしてインフィニティ・ウォーとは、その具現化である。
今回の映画の主役はサノスである。
彼のバックボーン、人物像、その理念が、これでもかと掘り下げられ、立体的に迫ってくる。
哲学とでも言おうか、圧倒的な信念と、それを支える強さが、いっそ格好よすぎるくらいだ。
それに、ヒーローたちは敗北する。
力で及ばないのはもちろん、今回の彼らは「サノスが来る。戦わなきゃ」と反射的に矛を構えるにすぎない。
つまり、思想でも全く敵わないのだ。
なにより重要なのは、今作で復讐が否定されたことだろう。
その役を担うソーもスターロードも、それを果たすことは出来なかった。
リベンジ、といえば作劇の定番で、ことアクションエンターテイメントにおいては持て囃されたりもする。
愛するものを奪われたなら、それで仇を討つ大義名分が得られ、それは実現されるべきだと。
だが、この映画において、それは明確に否定された。
サノスと戦う理由が「抵抗・復讐」でしかなかったアベンジャーズは、果たして壊滅してしまう。
全てを成し遂げたサノスは、独り腰掛け、朝日を見て悲しげに、しかし満足げに微笑む。
安易に宇宙の全権を掌握して君臨しようとしない。
なんだ、やっぱメチャクチャ格好いいじゃないか?
おそらくアベンジャーズは、サノスと再び戦う上で、彼らなりの哲学を求められることになるだろう。
今回の敗北が、彼らにそれを迫るはずだ。
そうして、サノスと対峙しうる力と思想とを手に入れたとき、いかなる戦いが描かれるのか──
楽しみに待ちたい。
つーか、これ一本で完結しないから、続きが気になってしゃーないんですけど!
……て言うか、もうインフィニティストーンの力を使って、サノスが消滅させたものを復活させるくらいしか、オチが想像できないんですが(笑)