マイケルキートン。
善人なのか、悪人なのか、主役なのか、脇役なのか、どんな役を演じても、インテリジェンスを感じさせる名優ですね。
『スポットライト』では、ボストングローブ紙の特集記事枠のデスク役で出演。
今回は、善でも悪でもない、組織のなか、村社会のなかの1人を演じてました。
ボストングローブ紙の記者チームが、カトリック神父達の性加害とその隠蔽の実態を暴いていく。
実話に基づいた映画です。
組織や村社会の誤りを見つけた時、どう振る舞うべきか?
記者達が、記者魂をもってして、スキャンダルを暴いていくというヒロイックな話とは違っているように思いました。
ボストングローブ紙の記者たちは、地元出身者がほとんど。
調査するうち、自分たちも性被害の当事者になっていたかもしれないと気づく。
マイケルキートン演じるデスク自身も、事件は知っていたけれども、無意識に見て見ないふりをしていたと終盤告白していました。
記者達が、自省的になりながらもそれぞれ心に火がついていくシーンが好き。
クールになりながらも、熱い思いを抱く。
心を揺さぶる映画ではありません。
鑑賞者を冷静な気持ちにさせる。
スポットライトは、
特集記事枠の名前でもあるですが、最終盤の「暗闇のなかにライトがみえたときそれを目指して歩いていくしかない」云々のダブルミーニングになってもいました。
日本でも他人事ではない。
芸能界の大ボスだった人物の性加害を、問題意識を持って報道したら良いのではないか。
インターネットの台頭で、大手新聞が大幅に部数を減少させている昨今。
夕刊を廃止する大手新聞社も出てきました。
何年後かには倒産する新聞社も出ると言われています。
新聞社は相当苦しい経営状態にあることは、薄々日本人も知っています。
経験とスキルと、誠実さを持ったジャーナリスト集団は、形を変えても残ってほしいと感じさせる映画でした。
アカデミー作品賞、脚本賞受賞作。
ちなみに、
『ワース 命の値段』のマイケルキートンも、みてみたい。
9.11同時多発テロの補償金額を算定し、遺族と交渉する役といいます。
函館では、今のところ映画館にかかる予定ないみたい。