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スポットライト 世紀のスクープのclementineのレビュー・感想・評価

3.5
 キリスト教福音派がキャスティングボートを握っていたりするように,アメリカと宗教の結びつきは深い。また貧困になるほど教会との結びつきも強くなる。グローブ紙がスクープした本件は,幼少期から宗教との結びつきが強い国において多大な影響をあたえたと想像できる。
 本件とは離れるが,イギリスの名門カトリック校に関する報告書も存在する。そこでは「多くの加害者が自分の性的関心を、子どもたちに隠さなかった」「一連の行為はあまりに露骨で、虐待を認める風潮が校内にあったことを表している」と記されている。ボストンで虐待が余りに広範囲にわたっていたことと並べて考えると,神父は自分の性的関心を子どもに向けることを「異常」とする認識が薄かったのではないだろうか。もちろん教会側は負い目があるから転属させたのであるが,劇中で自分もレイプされた神父がいたように,権力を持つことで個々の異常性行が発動したというよりも,虐待が日常化するシステムがあったように思う。知った上で目を背け続けた教会幹部は罪であるに違いないとしても,被害対象となる子どもは別として,どこまでが社会で暗黙の容認をされていたかは分からない。
 劇中でさらっとキリスト教における独身制についても触れられている。まず,独身は司祭の条件である。そして原義的に,独身や性的関係はそれ自体が罪や病だから行わないのではなく,キリストの生活に倣ってのものということらしい。つまりこれを繋げると,司祭は独身であらねばならぬが,性的関係は罪ではない(のであるかもしれない)という解釈も成り立つ。
 この問題は本件が明るみになってより活発な議論を招いたようだ。ローマ・カトリック教会は1139年以来司祭の独身制を貫いていたが,2019年10月26日に「適切な訓練を受け、教会のコミュニティーで認められた人であれば、既婚男性が儀式をすることを認める」意見を採択した。しかし,2020年02月12日に保守派に配慮し認めない判断を下している。

 映画の出来は凡庸であったように思う。取り扱う内容がセンシティブなこともありドラスティックな表現はほとんどなかった。映画になることでより広くこの問題が知れ渡る契機にはなっただろう。ただ違う監督が撮っていたらまた違った出来だったのかもとは思ってしまった。
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