「耳をすませば」より耳すましたよ。
ロケ地は福島の原発の被災地となった富岡町、南相馬市、浪江町だという。
しかし、本作はSFであり、被災地が持つ意味を映画を通して理解するのはなかなか困難であった。
園子温は映画的な画になるためだけに撮影したのだろうか?
もし、そうであるのならばオレは園子温を蛇蝎のように嫌うだろう。
しかし、そうではない。(気がする)
それは同監督作品「希望の国」を観ても被災地、原発による恐怖への強いメッセージが感じられるからだ。
おれ自身、本作のロケ地でもある富岡町には震災から4年が経ってから訪れたことがあった。
そこは建物さえ大きな被害にあっていないが、人の営みが感じられない異様な空気が漂っていた。
その独特な空気はテレビのニュースや、新聞などの媒体からでは中々感じることができない。
しかし、この本作からはその異様な空気がリアリティを持って感じることができた。
それはSFという世界観の中で、地球からは遠い惑星という設定上で被災地を映しているからなのか。
モノトーンで色のない人間、被災地を映しているからなのか。
悔しいがオレの頭では理解も整理もできなかった。
しかし、そこにはオレが富岡町で見て、聞いて、感じたあのリアリティがあったのだ。
園子温に脱帽です。
最後に、たとえアンドロイドでも畳はちゃんと目に沿って拭きましょう。
雑巾掛けのお尻はぐっと