ほぐし水

詩人の生涯のほぐし水のレビュー・感想・評価

詩人の生涯(1974年製作の映画)
3.8
 映像がはじまって間もなく、「綿(=リネン)」を織る老婆が糸車に取り込まれ、そのまま綿から「ジャケツ(=上着)」になる。老婆の身にふりかかる大きな災難に対して、映像には奇妙な静けさや落ち着きが満ちていて、思わずため息が漏れた。あの安部公房の文章が、手触りを伴った映像になっている……怖い……。

 「リネン」と「上着」ときたら、やはり連想せずにいられないのはマルクスの『資本論』の冒頭、第1章において「リネン」と「上着」を例として交換価値について論じる箇所だ。マルクスは『資本論』の中で、

「その物の有用な質も、そこに込められた有用な労働も、労働の内容も見ないとしたら、もう、その物には何も残らない。しかし、それらの物に共通する何かが残るのである。それは、ただ一つのもの、同じ意味での労働、つまり「人間の労働」が、この様に子細を取り去れば、そこにあるのが見えてくるだろう。」

と、そんな感じで、商品と人間の労働について考えている。へぇ、って思う。ほぼ確実に安部公房は『資本論』を意識して本作を執筆しているだろう。映画全体のストーリーも言わずもがなだけれど、その上で、このシーンを見ると、老婆が回転する糸車に巻きこまれるという仕草に、ぼんやりと意味が浮かんでくる。

 資本主義を批判した映画として世界で最も有名なのは、『モダン・タイムス』だと私は思う。そんな映画の中でも特に有名なのは、チャップリンが工場のベルトコンベアーに巻き込まれ、歯車ごと回転するシーンだろう。労働者の個人の尊厳、それが社会に搾取される悲哀を視覚的に表現しようとするのに、この「巻き込まれ」「回転する」という仕草がピッタリとはまっている。
原作は未読のため一概には言えないが、川本喜八郎もそのような点を踏まえて、このシーンを撮ったんじゃないかと考えてしまう。文学に文学として表現しうる形があるのと同時に、映像にも映像だからこそ表現しうる形があるんだと思う。

 最後にふる雪。なぜ、あんなに雪の結晶は美しく描写されるのだろう。なぜ、主人公の詩人のジャケツの赤が、画面の中でひときわ鮮明に映されるんだろう。私は、ぼんやりとその映像の美しさに目をやっているうちに、1人の人間が生きる中での幸福、みたいなものに触れた気がした。それは得るにはとても難しく、だからこそとても尊いのだと思う。
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