蛸

エイリアン:コヴェナントの蛸のレビュー・感想・評価

エイリアン:コヴェナント(2017年製作の映画)
4.5
シリーズ6作目にして「SF」と「ホラー」という二つのジャンルの祖としてのゴシック文学に先祖返りしたかのような一作です(特に中盤)。それは物語と映像の2つのレベルで成し遂げられていることだと思います。
冒頭から提示される「創造者-被造物」の関係性とそこから脱却しようとするデヴィッドの父殺しこそがこの映画の主軸です。
非常に多くの文化的な引用が散りばめられた作品ですが、それらの(創作物からの)引用は全て「創造者と被造物」という関係性、もっと言えば「創造」という作品全体のテーマに直結しているので、単なる目配せではありません(単純にリドリー・スコットが引用好きなのもあると思いますけど)。
まさしくSFホラーの古典的傑作たる『フランケンシュタイン』を彷彿とさせるストーリーですが(劇中でメアリーの夫のシェリーの詩が引用されています)、デヴィッドの立ち居振る舞いは正しくマッドサイエンティストのそれです。血だまりの中から起き上がるエイリアンを歓喜に震えたまなざしで見つめ,交感しようとするデヴィッドの姿が謎の感動を誘います。こと『エイリアン』シリーズ(少なくともリドリー・スコットの)においては人間たちは感情移入の対象ではなく残酷劇の生贄でしかありません(ならば人間たちが非常に迂闊であることはさしたる問題ではないと思います)。だからこそ、人間から生み出されたアンドロイドであるデヴィッドが自らの意思で邪悪な野望を成就するために邁進していく姿が感動的なのです。「天国の奴隷か地獄の支配者か」というセリフは『失楽園』ですね。つまりデヴィッドはフランケンシュタインでありサタンであり、これは彼のための映画なのです。何せこの映画は『ブレードランナー』ばりに彼の目のアップショットで幕を開けるのですから。テーマ的にも『ブレードランナー』に接近しているところが面白いです。しつこく言うようですが感情移入すべき対象は人間たちではなくデヴィッドです。そう思うとダヴィデ由来の彼が幾千ものゴリアテ=巨人たちを虐殺する場面だって感動的じゃないですか。『プロメテウス』の頃は何を考えているのかわからない意味不明なアンドロイドだった彼の人間性?が掘り下げられていてとにかく満足しました。デヴィッド頑張れ!
映像面においても(特に中盤は)崇高なゴシック感が爆発していて素晴らしい。屹立する巨大な遺跡の黒。巨人たちの死体群の黒。エイリアンの黒。今回の『エイリアン』は物語的にもゴシック文学的なわけですから、約40年前にギーガーのデザインが付与した黒のイメージが完璧にマッチしています。ルネサンスの自然哲学者の部屋みたいなデヴィッドの自室もいかにもという感じで良いですね(彼のフード付きのマントというヴィジュアルも)。
『プロメテウス』同様エイリアンが、語られる物語の背景になってしまっている感は強いです。しかし前作と今作で描かれたバックボーンによってエイリアンと人間の死闘は「種の存続を賭けたもの」としての意味を持ち始めます。そう考えると物語に神話的な壮大さが寄与されたような気がするので僕はとても好きです。

多分このシリーズに何を求めるかで評価が変わる作品だとは思います。個人的には、イチャイチャしてるカップルがエイリアンに殺されてしまうっていうベタなスラッシャー映画的シーンがあったりするところもポイント高いです。
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