ブタブタ

GAMERA1999のブタブタのレビュー・感想・評価

GAMERA1999(1999年製作の映画)
4.0
「もう死んじゃおうか~」(ヘラヘラ笑いながら)
庵野秀明版『ビューティフル・ドリーマー』
しかしこれはアニメでなく現実。
「出来ない」「終わらない」「まだ出来ない」「やり直す」「出来ない」(エンドレス)

未DVD化でその内容から見て配信やソフト化は永久にないでしょう。
『ガメラ3:邪神(イリス)覚醒』のメイキング・ドキュメンタリーの体裁を取りながら中身は全くの別物である。
冒頭「22%は嘘です」のテロップが出るが、そのフィクション部分は全体に薄~く浸透してる嘘・演出・捏造であり「樋口真嗣・特撮班VS金子修介・本編班」の対立と完全に樋口真嗣をヒーロー、金子修介を悪役として描く悪意に満ちた編集で其れが本作をドキュメンタリーでもメイキングでもモキュメンタリーでもない何か別物の映画にしている。

確かに本作はガメラ3の特撮メイキング、現在のCG全盛前夜の日本の怪獣キグルミ・ミニチュア特撮の極北迄行った末期、その技術・撮影の裏側を全て見せる貴重な記録でもある。

東京都現代美術館で開催された『庵野秀明特撮博物館』そして『特撮美術監督:井上泰幸個展』で再現された特撮セットや実際に使われた貴重なミニチュアの数々を実際に見たのですが、そのミニチュア然としたセットやガジェット、兵器等などが「特撮」というフィルターを通すと何故あんなにもリアルな、リアルと言っても本物みたいという訳でなく「特撮」という世界の中、怪獣が存在する虚構の世界の中でのリアルというか魅力、命を吹き込まれ動き出す、之が「特撮」という魔法なのだと。
勿論現在のVFX、CGによる怪獣映画も凄いですが「特撮」とはもう完全に別物なのだなと。
そして『平成ガメラ三部作』は日本怪獣特撮映画その最後にして最高傑作だったのだなと。

当時『ガメラ3』公開時の熱狂はコミケといったイベントに近く自分も夜勤明けの公開初日に劇中にも登場する今はなき渋谷の東急文化会館、渋谷パンテオンの大劇場で初回を鑑賞。
劇場のすぐ外にある渋谷駅周辺で今まさにガメラとギャオスが暴れ回っているという臨場感は虚構と現実の境界が曖昧になり「特撮」によってまるで融合していく様な、あの時あの場所でしか体験出来ない貴重な経験だった。
なので映画の内容に関してはハッキリ言って熱に浮かされた様な状態で殆ど気にならなかった。
冷静になって再鑑賞すると一番の見せ場は冒頭・渋谷大破壊のあそこがピークであり後はストーリーはとっ散らかり全ては放射状に広がっていく。
それらが収束する事はなく最後はこれ以上ない投げっぱなしの「戦いはこれからだ!」の打切りエンド。
しかし其れが『ガメラ3』公開時の一種異様なテンション、映画というより祭りに参加している様な楽しさだったなと。

そして本作を見れば『ガメラ3』が何故あんなになってしまったかは納得出来る。
金子修介と樋口真嗣の二人の監督。
撮影はもう始まってるのに脚本は完全にはまだ出来ていない。
方向性の違いに相互不理解に混乱しきった現場。
それぞれに思う理想の関係性が余りにも違い、それを擦り合わせようとする努力もしない。
皆が別の方向を向いていて其れらが爆発する様に映画『ガメラ3』は完成した。
ハッキリ言って凄い。
だから『ガメラ3』は映画としての完成度は度外視してあんなに楽しい祭りのクライマックスとして平成ガメラ三部作完結編に相応しい作品になった。

これは確実に『シン・ゴジラ』に続いている。
ある意味『gamera1999』はシン・ゴジラの習作。
そして本作があって『エヴァ新劇場版』はあった。
細かなカットの連続とサブリミナルみたいな挿入、早い切り返しと実相寺・特撮アングル。
庵野秀明監督はつくづく映像作家であり編集の人なのだと。

シン・ゴジラの宣伝コピー《虚構と現実》のテロップが最後に出る。
エヴァ旧劇場版以降、アニメから実写にシフトした庵野秀明監督ですが『ラブ&ポップ』『式日』『キューティーハニー』とお世辞にも面白いとも、ハッキリ言って詰まらない、何らかの実験映画的な価値とかもない駄作ばっかりで庵野秀明監督が初めて・漸く撮った実写映画の、その才能が正しく使われたのが『シン・ゴジラ』だと思う。
『gamera1999』の直接的な続編であり表裏一体の存在に近い。

そらから90年代の空気感。
まだ同人誌が18禁でなかったグレーゾーンの時代、オタク文化の最初のピーク『コミケ』『パトレイバー』『押井守』『美少女とメカ『士郎正宗』』等などあの頃は楽しかったな~と。
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