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幸せな人生からの拾遺集のmotoのレビュー・感想・評価

幸せな人生からの拾遺集(2012年製作の映画)
4.3
まず英語タイトル「Out-Take from the Life of a Happy Man」からの和訳「幸せな人生からの拾遺集」が素晴らしいと思いました。

まさにその名の通り拾遺集で様々な映像、または「現実」、の断片の集成である。様々な場所、人、季節を巡る些細な出来事を記録していて、その集積により「a Happy Man」ことジョナス・メカスの経験、人生を追体験することができる。
ここでメカスは「他の誰かの世界とも そう違ったものではない わたしの世界の」断片としている。そのような記録への態度が観客の共感を引き起こすことができるようになったのかもしれない。自然と心には幸せでいっぱいとなり、我々も「a Happy Man/Woman」となったような気分である。

「現実性(Reality)」を度々強調するような表現を作中でメカスは語っていた。僕自身も当初この作品は彼の記憶の一部であり、それを覗き込むようなものなのかと思っていた。決してそうではなく、むしろ記憶とは分かつものとしてイメージ、あるいは現実性について語っているようである。「記憶は去って」しまい、むしろこのイメージたちは「わたしの記憶とは関係ない」ものであり、スクリーン上で映る、我々(=観客)の目の前のものは全て「現実」であると語っている。それを蘇らせるものがこの作品である。
特に印象深かった言葉は「わたしはそれが好きだ わたしの見ているものが好きだ 他の何ゆえにこれを君に 見せ 分かち合おうというのだろう このイメージを イメージたちの現実性を」である。彼はまちがいなく人生を愛している。雪の景色も、遠い東の地で見た桜の花も、幼い娘も、若き頃の妻も、猫も、街の若者も… 彼は「些細な事までもすべて」愛しているように思える。その愛こそがイメージに現実性をもたらし肉付けさせることができるのだろう。

全くの他人の人生の一部を見てここまで多幸感に包まれることなどなかなかあるまい。他人に自分を差し出して、自分の人生の幸福や愛を分かち合えたらどれだけ素晴らしいことだろうか。非常に美しい映像作品であった。
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