ALABAMA

海難1890のALABAMAのネタバレレビュー・内容・結末

海難1890(2015年製作の映画)
2.9

このレビューはネタバレを含みます

東映配給。日本、トルコ合作映画。1890年に和歌山県串本町沖で起こったエルトゥールル号事件とイラン・イラク戦争の際にあったトルコ政府によるテヘラン邦人救出劇を映画化している。撮影は主に和歌山県、東映東京撮影所、同京都撮影所、トルコで行われたようだ。企画・監督は田中光敏。
1890年、当時のオスマン帝国は東アジアでの権威を高めるため、大日本帝国の天皇へ使節を派遣することを決める。ムスタファ大尉も妻に暫しの別れを告げ、大航海に参加。当時の日本は明治22年。1年間もの長い航海の末、エルトゥールル号とその乗組員は見事、日本へ到達、天皇への謁見を果たす。その帰路についた直後、和歌山県串本町沖にて台風による大時化に遭ってしまう。急きょ航路を変更し、神戸港に寄港しようと試みるが、マストが折れ航行不能。座礁とボイラーの大爆発により、エルトゥールル号は無残にも大破してしまう。乗組員は海へ投げ出され、紀伊大島へ流れ着いた。島民の懸命の救助むなしく600余名のうち、助かったのはムスタファ大尉含め60数名。島民は助かったトルコ使節団の人々に無償で献身的に尽くし、やがて彼らはトルコへと帰国して行った。
舞台は飛んで1985年。中東では停戦協定を破棄したサダム・フセイン大統領率いるイラクとイランの戦闘が激化。フセインは48時間後に上空を飛行する全ての航空機、民用、軍用関わらず無差別に攻撃するとの声明を出す。イランからの脱出しようと試みる民間人たちで大混乱が起こる中、日本政府は危険を鑑み、救出機を出さないことを決める。見捨てられた邦人たちは、日本大使館に救出を求め、大使はトルコ政府に掛け合う。エルトゥールル号での恩義を返すと決めたトルコ政府は自国民がイランに残っているにも関わらず日本人のために救出機を出すことを決める。
非常に規模の大きな映画だなという第一印象。この映画が撮影されているとき、関わっているスタッフの方から「今、トルコと合作をやっている」と聞いて東映にはでかい企画があるんだなと思った記憶がある。本作は大きく分けてエルトゥールル号事件とテヘラン邦人救出劇の二編によって構成されている。
前半、エルトゥールル号事件編では日本とトルコの状況を交互に織り合せている。モノをオーバーラップさせて繋ぐ方法は古典的ながらも美しく、心地よく場面を転換させるのに一役買っている(太陽のインサートによって日土を繋いだり、酒がこぼれるのと船に海水が流れ込むのを繋いだり)。暗部を強調したライティングは当時の家屋の空気感を美しく甦らせる。技術の光る巧みな映画。
だがしかし、自身の中で強烈に疑問を持った点がある。本来この出来事は国境、国籍を越えた人と人との善意の交流であったはずなのに、それを国家の友好に落とし込んでいる点だ。そしてこの映画も日本政府とトルコ政府の関係強化に利用されているようにしか思えない。エンドロールの後、急にトルコの大統領からのビデオメッセージが流れ出したところで、この素晴らしい出来事に一気に陰を落としてしまった。トルコ上映では安倍首相のメッセージが流れたのだろう。この映画は国策に利用されたのか。さらに「『海難1890』を成功させる会」の最高顧問には安倍首相が就任したという。本来、政治、国家とは離れた場所にあるべき映画が政府に寄り添うという状況には甚だ危機の念を禁じえない。この映画による両国首脳の交流の報道を見るたびに、複雑な気持ちになる。また、少数派の意見を徹底的に描かない、葛藤がないその作品の構成には、これでいいのか!と思ってしまう。
観れば観るほど、様々な念が湧き上がってくる。プロパガンダ映画という批判が起こっても仕方がないだろう。この作品を観て、何を思うかはその人次第だが、僕は素直には観られなかった。
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